安井息軒《時務一隅》(五)後段b

24-03 凡そ血氣ある者は必ず欲心御座候ふ。其の欲を縱(ほしいまま)にせざるを君子と稱し、欲を縱に致し候ふを小人と申し候ふ。小吏まで盡(ことごと)く君子を得て用ひたき事に候へども、何時の世とても、夫れ程までには、人材備わらざる者に御座候ふ。此れに因りて事に幹たるの才之れ有りて、其の心奸佞ならざる者に、小々不行き屆きの儀御座候ひても、用ひざる事を得ず、此れ等の人、錢穀の中に身を埋(うず)め、俗事謝養之貯、闕乏致し候へば、必ず欲心生じ、種々に手を付け、官物を掠(かす)め候ふ儀、凡人の常情に御座候ふ。

意訳:血液と気脈があるもの〔、つまりヒトを含めた動物〕全般に必ず”何かを欲する”という欲念(欲心)がございます。その欲念(欲心)をきちんとコントロールしている者を「君子」(=大人物)と呼び、欲念(欲心)に振り回されている者を「小人(しょうじん)」(=小人物)と申します。〔本来なら宰相のみと言わず、〕下級官吏までことごとく「君子」を挙用したいものですけれども、〔堯や舜といった聖王の治世を含めて〕いつの時代でも、それほどまでには人材が揃わないものでございます。

 このため中間管理職として〔トップの方針を正しく理解したうえで自らプランを立案し、人員や資材を手配し、陣頭指揮をとってプランを遂行できるだけ〕の才能(幹事の才)があって、その心根がねじ曲がって(奸佞)いない者に、少々不行き届きな点がございましても、〔そこには目をつぶって〕挙用しないわけにはいきませんが、こうした人々が〔毎日国庫に山積みになった〕金銭や米穀に埋もれ〔るように働い〕ていて、普段の生活や交際や扶養家族の世話などの家計(俗事謝養之貯)が不足を来しますと、必ず欲念(欲心)が生じ、〔役場の〕色々な物品に手を付け、ついには〔納税された〕官物を掠め取ってしまいますことは、普通の人々(凡人)が持つ普通の心理(常情)でございます。

余論:息軒の「性悪説」的な人間観が垣間見える。(もっとも、息軒本人は〈性論〉において「ヒトの性が善であるのは言うまでもない」と断言しているが)。
 ここで、毎日金品に囲まれて働いている経理担当の役人が、いざ生活苦に直面した時、つい横領を働いたとしても、それは「常情」(=普通のヒトが持つ普通の感情)だという。つまり、「極悪人の所業」とはしないのである。
 息軒という人は、物事を「構造的」に考える。ヒトが悪事をなすとしたら、そのようにヒトを仕向けている社会構造上の欠陥や不備があると考え、社会構造を改善することで、悪事をなす必要がない環境を提供するよう求める。
 現代の日本社会は、とかく当事者の心の問題に原因を押し付けて、最終的に当事者の「自己責任」で片付けてしまう。当事者が自分で言うなら分かるけど、政府や指導的立場にある人間が言うのは、職務放棄というか、自己否定だと思う。例えば2021年春先のコロナ感染拡大(第4波)において、自粛しない府民や都民に責任を押し付けようとしている感じとか・・・。



24-04 古人は聰敏に候ふ故、此處(ここ)に早く目を付け、錢穀の吏は、格別に精選致し、其の員を少なくし、其の俸を多くし、萬一贜罪を犯し候ふ節は、常人より罪を一二等重く申し付け候ふ。是れ小吏を待ち候ふ第一の良法に御座候ふ。
 總て表向きより出候ふ財は、定額に御座候ふ故、小々出增し候ひても、憂ふるにたらず候ふ。

意訳:昔の人は聡明で頭の回転が早かった(聰敏)ものですから、この点にいち早く目を付け、〔国庫に保管された〕金銭や米穀に関わる官吏は、格別に精選いたし、その定員を少なくして、その給与(俸)を多くし、万が一、横領罪や収賄罪(贜罪)を犯しました時は、普通の官吏より罪の等級を1~2等重く申し付けました。これが下級官吏を待遇する上で一番良い方法でございます。
 総じて公的(表向き)に支出します費用は〔例年ほとんど変わらないもので〕、いわば定額でございますので、〔例えば経理に携わる官吏の給与を従来の5割増にした結果、今より〕少々歳出が増えましても、〔それで財政が悪化するなどと〕心配するに足りません。

余論:経理担当者の待遇向上案。
 経理担当の下級官吏が横領や収賄に手を染めてしまうのは、主に生活苦が原因なのだから、給与を増やしてやれば防げるやろ?という、真っ当な案。安い給料のままで、「従業員の皆さんには、もっと経営者視点で仕事に取り組んでほしい」などというブラックなことは、息軒は言わない。(封建時代の儒者のほうが、現代の企業家よりホワイトなのは、どういうわけか?)
 給料を増やしたうえで、それでも横領する奴は律令制にしたがって厳罰に処する。
 給料を増やすとなると、その財源をどうするかという問題になるが、息軒は大した額じゃないと一蹴する。ちなみに息軒が引用した北宋の初代皇帝趙匡胤は「其の冗員にして費を重ねるよりは、官を省きて俸を益すに若(し)くは莫し。其の員を差し減らして、舊俸をば月に五十を增して給へ」(與其冗員而重費、莫若省官而益俸。差減其員、舊俸月增給五十)という。定員を減らしているわけだから、一人あたりの給料を何割か増やしたところで、削減した人員の正規の給与分で相殺できるということか。


24-05 內證にて減し候ふ財は、漏甕に水を注ぐが如く、如何程力を盡して汲み入れ候ひても、晝夜間斷なく漏れ候ふ故、甕の滿つる期御座無く候。是の故に治國の道に通じ候ふ者は、吏員を省き、其撰を精(くは)しくし其の俸を多して、姦詐之れ無き樣仕向け、其の上にて贜罪を犯し候ふ者は、嚴刑を加へて其の餘を戒め候ふ。
 古より冗官を省き候ふを、善政の第一と致し候ふ義、此の譯に御座候ふ。勘定局其の外財利に關係致し候ふ役人は、此の心得にて御使ひに成られたく候。(未完)

意訳:〔経理を担当する官吏が〕内緒でこっそり減らします財産は、ヒビの入った水がめに水を注いだ場合のように、どれほど頑張って水を汲み入れ続けましても(=政府が様々な財政再建案に取り組んでも)、昼夜間断なく漏れますので、水がめが満杯になる時がございません。このため治国の方法(道)に通暁します者は、官吏の定員を減らし、その選別を精密にし〔て少しでも清廉な人物を選ぶようにし〕、その給与(俸)を多くして、〔生活苦から〕悪巧みをすることがないように仕向け、その上でまだ横領や収賄の罪(贜罪)を犯しました者には、厳刑を下して他の官吏たちを戒め〔るための見せしめとし〕ます。

 昔から無駄な官吏(冗官)を省きますことを、善政の第一といたしますのは、こういう訳でございます。財務局(勘定局)やその他の財物や利益(財利)に関係いたします役人は、この心構え(心得)でご使役になっていただきたいです。(続く)

余論:息軒が経理担当の待遇向上を提言する理由。
 そもそも経理担当者に信用できる人物を配置できないと、いかなる財政再建案も「水漏れのする水がめに、水を汲み入れ続ける」ような徒労に終わる。
 冗官については、現代なら「議員定数削減」として考えた方がいいように思う。議員定数は、戦後まもないころの一家に一台固定電話があるかないか、自家用車など夢のまた夢という時代に、地域社会を網羅し、民意を漏れなくすくい上げるために必要だとして定められた人数なのだから、現代のような情報通信技術が格段に進歩した時代には多すぎると思う。
 2020~2021年のコロナ禍における国会審議を見るにつけ、国会議員は半減してもいいようにさえ思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?