安井息軒《時務一隅》(六)前段

(6頁裏・《如蘭社話・後編》20巻)

一 商賈の權重く候得バ、自然奢侈の風起り、諸色高直【①】にして、諸民困窮の根元と相成候、漢土三代【②】の頃より、此を深く憂候と相見え、周禮司市【③】以下の諸職に、以政令禁物靡【④】而均市、以賈民禁偽而除詐(政令を以て物をば靡するを禁じて市を均(なら)し、賈民【★】を以て偽を禁じて詐を除く)、並亡者使有【⑤】、利者使阜【⑥】、害者使亡、靡者使微(亡き者は有らしめ、利する者は阜(ゆたか)ならしめ、害する者は亡からしめ、靡する者は微ならしむ)と申す箇條、賈師職【⑦】に、凡天【⑧】患禁貴、儥者使有恒賈【⑨】(凡そ天患は貴きを禁じ、儥(う)る者は恒賈有らしむ)と申す箇條等ハ、今日御用ひに相成、至極相當の法に御座候、此等の外に、當時【⑩】の大害三箇條御座候、第一江戸の十組問屋【⑪】、次に上方【⑫】金相場の狂ひ、次に大坂堂島【⑬】の米相場に御座候、米相場の害

(7頁表)

ハ、古人【⑭】詳に述候故、致省筆(省筆致し)候、金銀相場の義【⑮】、江戸ハ金を主として、何時にても、金壹兩ハ六拾匁【⑯】に御座候、上方ハ銀を主とし、金壹兩、先年ハ六拾壹貳匁【⑰】より、至極高直に相成候ても、六拾四五匁に過ず候處、米利健【⑱】、橫濱へ䦨入致し、御用金【⑲】被仰付(仰せ付けらる)後ハ、六拾七八匁より、七拾貳參匁迄引上申候【⑳】、是ハ御府内に差出候金子を相場違を以て、本地へ引戾し候姦計に御座候、匹夫の身として、天下の利權を弄し、諸人を苦しめ候事、可惡之甚敷(惡(にく)むべきの甚だしき)に御座候【★】、其譯ハ諸國の米穀產物を引受、又ハ諸家へ金子を貸付候に、皆銀匁にて金子相渡し候故、銀高多く金高少く候、大坂【㉑】に於て、七拾參匁にて金壹兩請取(うけとり)、右金を江戸に於て使ひ候節、定相場六拾匁に御座候故、武家にハ、金壹兩の內にて、三朱餘の損失あり、町家ハ居ながら三朱餘の德分御座候、賣買共に、右の通り損德御座候故、商賈ハ益富、士農ハ

(7頁裏)

益貧敷(貧しく)、天下の金錢大坂【㉒】に集り候儀、自然の理數に御座候、金錢ハ物價の主と相成候物に候、此處に狂ひ御座候てハ、天下の物價盡く狂ひ、諸人の難義と相成候間、何卒金子ハ、天下一同六拾匁と御極被成度(に成られたく)候、此令【㉓】出候ハヾ、例の狡賈黠商【㉔】、外に姦計を生し、或ハ金錢の融通、暫時惡敷(惡しく)相成候儀、可有之(之れ有るべく)候へ共、嚴令を以て、二三年御持こたへ被成(に成られ)、甚しき姦計を構へ、又ハ法を犯し候者ハ、重科に被處(處され)候ハヾ、必行ハれ可申(申すべく)候、諸國錢相場も、大不同無之(之れ無き)樣致し度(たき)事に御座候、御府内販夫、又は遠國武士等ハ、錢高キ方を利と致し候、豪商幷在府の武士ハ、錢の賤を利と致し候、此輕重見計ひ肝要に御座候、十組問屋ハ、甲州【㉕】の姦民茂十郎【㉖】と申者、諸品問屋を相定め爲冥加(冥加ト爲シテ)金子壹萬兩、問屋共より、年々差上候樣被仰付度(仰せ付けられたき)段建議致し候處、時相【㉗】その言に被迷(迷はれ)、御取立相成候、茂十郎事ハ、右體の事にハ、

(8頁表)

才覺有之(之れ有る)者故、暫時御用ひ被成(に成られ)候へ共、その後姦惡【㉘】相顯(あら)ハれ、御誅戮を蒙り候、然ども十組ハその儘(まま)被立置(立て置かれ)候儀、上官の方ハ、下情に深く御通し兼被成(兼ねに成られ)候義も有之(之れ有り)、その害詳に御存知無之(之れ無き)故と存候、漢の世も聚斂の臣【㉙】有之(之れ有り)、榷酤の法【㉚】を相創め、天下の財を上に聚め、海內困窮いたし、殆ど大亂を釀候事御座候、榷ハ獨木橋に御座候、獨木橋の上に立候へ【㉛】バ餘人ハ通行不相叶(相ひ叶はず)、右の筋に準し、公一人の手にて、賣買の榷を執、下民の商賈、行ハれざる樣に致し候を、榷酤の法と申候、十組問屋ハ、一人にハ無御座(御座無く)候へ共、其組十に限り、此外の者へ產物仕送候へバ、右組中の者、難澁申立候故、產物此者共の自由に相成、貴賤心の儘に取計申候故、即榷酤と同理に御座候、誠に其一端を擧可申(申すべく)候、安政乙卯【㉜】大風【㉝】の節、深川材木問屋、取あへず、早駕籠にて、秩父【㉝】へ參り、荷主材木切出候事、差留候由、差

(8頁裏)

當り材木入用候故、切出し候へバ、其者共幷に諸人の爲にも相成候處、材木拂底に致し、直段引上高利を貪り候心得に候故、右體の不法相企申候、若(もし)問屋共の辭不相用(相ひ用ひず)强て伐出し候へバ、以後材木相送候節、請込不申(申さず)、他へ相談致し候ても、御定有之問屋の外、請込者無之候故、無餘儀(餘儀無く)其辭を相守、諸人の差支と相成候、【★】【㉞】其外諸產物、何れも右の手段にて、或ハ深く藏し、或ハ運船を支へ、種々の惡【㉟】行不暇數(數ふるに暇あらず)候、是全く賣買の權を十組へ御與へ被成(に成られ)候より起り申候、嘉永御改政の節、十組御除き被成(に成られ)候事【㊱】、誠に御卓見と可申(申すべく)候、然る處時事一變、又復本(本に復(かへ)る)の姿に相成、其後ハ一萬兩の冥加金も御免相成、十組の者共、全く其利を収め候、漢代の榷酤ハ、軍國の入用乏敷(乏しき)より、相創(はじ)め候に付、惡【㊲】政にハ無相違(相違無く)候へ共、此を以て國用相支へ、橫税暴飲を不申付(申し付けず)候故、少ハ申譯も御座候、只今の十組ハ、問屋を

(9頁表)

肥し候迄にて、官にハ何の御利益も無之(之れ無く)、武家百姓の難義を相增候儀、誠に歎(なげ)かしき事に御座候、嘉永度の如く、御取除相成候ハヾ、海內御救濟の一端に可有之(之有るべく)候。

注釈:
①高直(こうじき):値段が高いこと
②漢土三代:中国古代王朝である夏朝・殷朝・周朝の三つ。
③周禮司市:司市は、《周禮・地官司徒》に記載されている官職。市場を管理し、商人に対する教育(治教)・政治と刑罰(政刑)・測量(量度)・取締(禁令)を担当する。
※《周禮・地官司徒・司市》掌市之治教・政刑・量度・禁令。以次敘分地而經市、以陳肆辨物而平市、以政令禁物靡而均市、以商賈阜貨而行布、以量度成賈而徵儥、以質劑結信而止訟、以賈民禁偽而除詐、以刑罰禁虣而去盜、以泉府同貨而斂賒。(略)凡治市之貨賄・六畜・珍異、亡者使有、利者使阜、害者使亡、靡者使微
④靡:贅沢、無駄遣い、浪費
★賈民:《周礼・地官司徒》に記されている官職で、「胥師」に属し、商品詐欺(ぼったくり商品)を摘発した。世情に通じた人民が任命された。
⑤有:底本は「◻」に作り、欠字とする。《周禮注疏》に従って「有」字を補う。
⑥阜:豊かであること
⑦賈師職:賈師は、《周禮・地官司徒》に記載されている官職。物価や市場価格を監視し、必要に応じて介入した。
※《周禮・地官司徒・賈師》各掌其次之貨賄之治、辨其物而均平之、展其成而奠其賈、然後令市。凡天患、禁貴儥者、使有恒賈。四時之珍異、亦如之。凡國之賣儥、各帥其屬而嗣掌其月。凡師役、會同、亦如之。
⑧天:「天」字、底本は「夫」字に作る。今、《周禮注疏》に従って「天」字に改める。
⑨天患禁貴、儥者使有恒賈:通常この句は「天患、禁貴儥者、使有恒賈」(天患は、貴(たか)く儥(う)る者を禁じ、恒賈を有らしむ)と区切る。今は底本に従い、「貴」字と「儥」字の間で区切る。
⑩當時:当代、現代。
⑪十組問屋:元禄7年(1694)に菱垣廻船を扱う江戸の海運業者が設立した同業者組合(ギルド)。その後、幕府に公認されて「株仲間」となり、「下り荷物」(大阪発江戸着)を独占した。
⑫上方:京都と大阪を中心とする畿内。
⑬堂島:江戸時代、大阪に作られた米取引市場で、諸藩が年貢米の現金化に利用した。元禄10年(1697)に淀屋橋南詰の豪商淀屋の自宅前で開かれていた米市が、大江橋北詰(堂島)に移されて「堂島米市場」となった。世界で初めて先物取引(デリバティブ)を行っていたとされる。
⑭古人:恐らく、大阪の懐徳堂の儒者中井竹山を指す。中井竹山は松平定信の下問に答えて《草茅危言》を奏上し、大阪堂島における米の先物取引が投機化している問題を訴えた。
⑮金銀相場の義:江戸時代、江戸と上方の金銀交換比率の違いから生じていた為替問題。江戸は金本位制で固定為替であるのに対して、上方は銀本位制で変動為替であった。息軒の解説は、松平定信《物価論》とほぼ同じ。
⑯金壹兩ハ六拾匁:幕府が定めた金銀交換比率の公定相場。慶長14年(1609)に金1両=銀50匁=銅4000文と定められ、元禄13年に貨幣改鋳に伴い金1両=銀60匁=銅5000文と改定された。ただし安政5年(1858)の日米修好通商条約によって金の海外流出が起こると、これに対処するために幕府は金銀改鋳を実施し、安政7年=万延元年(1860)には国際相場に近い金1両=銀150匁=銅1万文となった。
⑰金壹兩、先年ハ六拾壹貳匁:江戸では金銀の交換比率は、幕府が定めた公定比率に基づく固定為替相場だったが、上方では変動為替相場が採用されており、江戸に比べて金高銀安だった。だから江戸で銀60匁を金1両に換金し、その金1両を上方に持ち込めば銀62匁になり、銀2匁の利益が出た。
⑱米利健:米国。アメリカ合衆国。
⑲御用金:幕府や諸藩が財政窮乏を補うために、領内の商人から臨時徴収した金銭。ちなみにフランス革命はこの「御用金」に対する資本家(ブルジョワジー)の不満が原因で起こり、《人権宣言》も財産権の保障に言及する。
⑳引上申候:江戸時代の金銀交換比率は、国際相場に比べて極端な金安銀高だったことから、開国後は外国人が大量の銀を持ち込んでは金に交換していった。これにより日本国内の金(Gold)が一気に海外へ流出し始めた問題に対処すべく、幕府は金銀改鋳などにより国内の金銀交換比率を国際相場に近いところまで引き上げた。その結果、《時務一隅》が書かれた文久年間には、金流出はほとんど収束していた。つまり開国後の急激な金高銀安は幕府の金融政策だったのだが、どうも息軒は国内の一部投機家によるマネーゲームが原因だと考えていたらしい。
★匹夫~可惡之甚敷に御座候:思うに、この一文は錯簡ではないか。後述の深川材木問屋に対する評価として、注㉞の直前に移すべきではないか。
㉑大坂:底本は「大阪」に作る。いま、「大坂」に改める。
㉒大坂:底本は「大阪」に作る。いま、「大坂」に改める。
㉓此令:国内の金銀交換比率を全国一律にすること。息軒は失念しているが、当時の日本はすでに国際金融市場に組み込まれているため、国内の交換比率を統一したところで、それが海外相場と極端に乖離すれば、同様の問題は起こり得た。
㉔狡賈黠商:悪徳商人。
㉕甲州:山梨。
㉖茂十郎:杉本茂十郎、江戸後期の実業家。十組問屋を改組して菱垣廻船積問屋仲間を結成し、菱垣廻船の再興に努め、問屋仲間から冥加金を集めて幕府に上納するなどして、国内海運業の独占を目論むも、文政2年(1819)に後盾の北町奉行永田正直が死去すると、冥加金の取り扱いなどを理由に処断され、失脚した。強引な手法から「毛充狼」と呼ばれた。
㉗時相:当時の宰相、老中
㉘惡:底本は常用漢字体「悪」字に作る。今、正字体「惡」字に改める。
㉙重税を取り立てて人民を苦しめる臣下。
※《禮記・大学》:孟獻子曰「(略)與其有聚斂之臣、寧有盜臣」(孟獻子曰く(略)「其れ聚斂の臣有らんより寧ろ盗臣有れ」と。
㉚榷酤の法:酒類の専売制度
㉛へ:底本は「へ」字の下に読点「、」を打つ。文脈により省く。
㉜安政乙卯:安政2年(1855)
㉝大風:台風。
㉝秩父:埼玉県秩父市
㉞、:底本には読点がない。文脈に従い補う。
★思うに、ここへ上段の「匹夫の身として、天下の利權を弄し、諸人を苦しめ候事、可惡之甚敷(惡(にく)むべきの甚だしき)に御座候」を移すべきではないか。
㉟惡:底本は常用漢字体「悪」字に作る。今、正字体「惡」字に改める。
㊱十組御除き被成候事:水野忠邦の天保之改革で、十組問屋は一度廃止される。だが嘉永4年(1851)に再興され、明治まで存続した。
㊲惡:底本は常用漢字体「悪」字に作る。今、正字体「惡」字に改める。

余論:息軒による独占防止と為替政策の提言。
 息軒は国内の主要な経済問題を「大害三箇条」と呼び、「第一江戸の十組問屋、次に上方金相場の狂ひ、次に大坂堂島の米相場」を挙げる。このうち「大阪堂島の米相場」については、すでに昔の人(恐らく中井竹山)による詳論があるからと説明を省き、十組問屋と金相場の問題について分析と対策を述べる。
 息軒は政府による専売制や政府に認可された特定団体による寡占、またトレーディングのような実体を伴わない経済活動を嫌う。総じていえば、公正で開かれた市場(マーケット)における自由競争が、商品価格を押し下げる方向へ働き、消費者や生産者の利益につながると考えているからで、政府はそのためのルール作りに着手べきだという。
 では息軒が自由経済論者や資本主義者かといえばそうとはいえず、これまで見てきたように、息軒は物価上昇を悪と捉える。息軒が贅沢の風潮を嫌うのも、それが物価上昇を招くからであり、物価上昇抑制のために贅沢禁止を唱えている。
 

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