安井息軒《時務一隅》(四)前段a

12-01 民間の政令法度は、簡易なるを貴び候ふ。法令煩しく候得者、淳良の民も從ひ兼ね候ふ。且つ土地に依りて、風儀習俗、少々宛(ずつ)相ひ替はり候ふ故、關東の善政、西國に施し難き事も御座候ふ。
 但だ太平の餘澤にて、年々奢侈に流れ候ふ儀は、天下之同弊に御座候ふ間、奢を禁じ、檢に導き候ふ儀、何方(※イヅク)の國に於ひても急務に御座候ふ。中にも關東の婚禮、伊勢迎など、分に過ぎたる事に御座候ふ。

意訳:民間に対する政令や法度は、簡単で守りやすいこと(簡易)を重視します。法令が煩しいものですと、素直で善良な人民も従いかねます。そのうえ地域にによって、しきたりや習俗は少しずつ変わりますため、関東の善政が西国で実施困難な事もございます。
 ただ260年続く天下太平の恩恵(餘澤)で、人民が年々奢侈に流れます件は、日本全国に共通する弊害(天下の同弊)でございますので、奢侈や贅沢を禁じ、人々を質素倹約へ導きますことは、どこの国に於いても急務でございます。中でも関東の婚禮と伊勢詣などは、〔贅沢さが人民としての〕分を過ぎている事でございます。

余論:息軒による人民の贅沢禁止令。寛政之改革や天保之改革と同じく、まず支出を減らすことを唱える。「経済を廻す」という発想は、まだない。ここでは関東地方の人民に見られる奢侈贅沢の悪弊として、婚礼と伊勢詣が挙げられている。


12-02 關東にて婚禮候ふ者、如何成る貧民にても、損料にて摸樣物打掛等、借り受け相ひ用ひ候ふ事の由、少し富み候ふ者は、其の奢侈莫大之事に相ひ聞こえ候ふ。
 美濃・尾張邊にて、參宮致し候ふ者は、迎へとして、おつヾり馬、仕立て遣はし候ふ由、富民は其の數相ひ增し、四五匹に至り候ふ者も之れ有る樣に候ふ。
 此等は財を費し候ふ計りに之れ無く、僭上之罪輕からず候ふ間、屹と御制禁に成られたく候ふ。

意訳:関東にて婚礼を挙げます者は、どんなに貧しい人民でも、レンタル料(損料)を払って柄物の打掛などを借り受けて〔結婚衣装として〕用いますとの事ですが、少し富裕な人民はその奢侈も莫大な事になると聞きます。
 美濃(岐阜)や尾張(愛知)あたりで伊勢神宮を参拝いたします者は、〔庶民であっても〕お迎えと称して「おつづり馬」を仕立てて行かせますとの事ですが、富裕な人民はその馬の数も増えて、4~5匹にいたします者もいる様です。
 これらは財産を浪費しますばかりではなく、僭越の罪も軽くありませんので、絶対にご禁止になっていただきたいです。

余論:息軒による贅沢禁止令の続き。とはいえ、人民の贅沢を禁ずべき理由が見えづらい。
 なお《救急或問》では、婚礼費用の高額さが農民の生涯未婚化を招き、耕作放棄地の増加による年貢収入の減収や、犯罪増加の原因になっていると分析し、婚礼の規模に制限を科すこと説いている。


12-03 猶ほ諸國に是に相類し候ふ宿弊之れ有る可く候ふ。
 中には心得宜しき者も之れ有り、甚だ迷惑致し候へ共、一統之風俗と相ひ成り候ふ上は、若し習俗通り致さず候得者、謗議沸騰致し候ふ故、餘儀無く致し候ふ事と相ひ見え候ふ。
 箇樣の事は、嚴禁を仰せ出されず候ひ而者(ては)、決して相ひ止み申さず候ふ。

意訳:やはり諸藩でもこれ(=関東における婚礼と伊勢詣)に類します長年の弊害が、きっとあるはずです。
 中には心掛けのよい者もおり、〔こうした贅沢を競う風潮を〕とても不快に感じております(迷惑)けれども、〔贅沢はすでに〕全国で統一的な風俗となっております以上、もし〔挙式などを〕習俗通り〔のやり方や規模で実施〕いたしません者には、〔周囲による〕悪し様な批評(謗議)が沸騰いたしますので、〔彼らとしても〕他に方法がないものと見えます。
 このような事は、〔政府の方から〕厳禁をご命令になられませんと、決して止み申し上げません。

余論:政府が民間の習俗に介入すべき理由。
 個人的におかしいと感じていても、「若し習俗通り致さず候得者、謗議沸騰致し候ふ故、餘儀無く致し候ふ」(しきたり通りやらないと批判されるから、仕方ない)というのは、現代でもあまり変わらない。(ネットのおかげで、周囲の意見をずいぶんと相対化できるようにはなったが。)

 さて、2020年にコロナ禍が起こって、各国政府がロックダウンや強制PCR検査など様々な防疫対策を実施するのを横目に、日本は政府が国民に自粛を呼びかけるだけで、なんとなく医療崩壊も起こさず乗り切ってしまった。しかし2021年4月に入って大阪を中心に変異株が急速に感染拡大し、ついに大阪では重症患者数が用意していた病床を越えるという医療崩壊が始まった。

 大阪府が外出自粛を呼びかけるものの、大阪市街の人の出は減る気配がない。そろそろ強制力のある処置(=罰則規定を伴う条例や法令)が必要ではないか。人々の行動パターンは「嚴禁を仰せ出されず候ひては、決して相ひ止み申さず候ふ」のだから。

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