安井息軒《救急或問》07

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一、月番ト云フ事ハ、和漢共ニ古ヘハナキ ヿナリ、其害アルコト遠ク古ヘヲ引クニ及バズ、今萬金ノ家アラン、其家ニ五人ノ番頭アリ、此五人ノ者共代ル 〴〵ニ一人ニテ一箇月ノ事ヲ處置センニ、其家立所ニ衰フベシ、此ヲ以テ之ヲ推セバ、月番ノ政事ニ害アルコト明白ナラン、
周官ノ六卿、大宰ハ奥向ヲ始メ、衣服・飲食・薬餌ノ類、總ベテ君ノ身ニ付キタルコトヲ掌リ、天下ノ事預カリ聞カザル所ナシ、司徒ハ土地・人

(7頁)

民・教導・稅斂ノ事ヲ掌リ、宗伯ハ禮・樂・祭・祀ノ事ヲ掌リ、司馬ハ軍旅、征伐ノコトヲ掌リ、司寇ハ訴獄・刑戮ノ事ヲ掌リ、司空ハ土功・作役ノ事ヲ掌ル、其職中ニ種々ノ事、並聯事ノ勤メモアレ共、大畧右ノ如シ、若國ニ三人ノ重役アラバ、國中ノ事ヲ三ツニ分チテ其相近キヿヲ聚メテ一職ト爲シ、一人ヲ以テ其頭役トナシ、各其才ノ長ズル所ニ從ヒテ用フベシ、一國ノ大政ヲ執ル者ハ、格祿ニ拘ラズ、三人中ニテ才ノ大ナル者ヲ擇ビテ任ズベシ、齊ノ國氏・高氏ハ宗室ニシテ位管仲ガ上ヘに在レドモ、其ノ才管仲ニ及バザルユヘ、桓公管仲ニ命ジテ政ヲ爲サシム、鄭ノ子皮ハ爵祿共ニ子產カ上ニアレ共、鄭國ノ政ヲ爲ス者ハ子產ナリ、此等ハ古人已驗ノ明法ナレバ今日モ断シテ行フベシ。

意訳:現代の幕府や諸藩が採用している「月番」【★】という制度は、昔は日本にも中国にも存在しなかった制度だが、その有害さは証明するために遠い昔の史実を引用するまでもない。たとえば、今ここに億萬長者の商家(年商数千億の会社)があるとして、その商家(会社)に五人もの番頭(取締役社長)がいて、この五人の者たちが一人一ヶ月ずつ交代で商家(会社)を取り仕切るようにしたら〔、つまり毎月社長が交代し、交代のたびに経営方針がリセットされる体制にしたら〕、その商家(会社)はたちどころに傾くに違いない。ここから推察すれば、「月番」が政治に有害なことは明白だろう。

補注:
月番:月当番。幕藩体制において、一つの役職に複数人を任命しておいて、一人ずつ月代わりで担当させる制度。今風に言えば、ワークシェアリング制度。例えば幕府には五人の老中がいるが、基本的に稼働しているのはその月の月番に当たっている一人だけで、あとの四人は登城しない。
 儒家の経書の一つである《周礼》(別名《周官》)の「六卿」の場合、例えば天官の「大宰」は、君主の妻と子女が暮らす後宮(奥向)の事をはじめ、衣服・飲食・薬など、君主の身に関する全てのことを管轄し、〔常に天子の身近に伺候するがゆえに〕天下のことで関知しないことはない。地官の「司徒」は土地・人民・教導・税収のことを管轄し、春官の「宗伯」は礼儀と音楽(※1 礼楽)と祭祀のことを管轄し、夏官の「司馬」は軍隊と軍事行動のことを管轄し、秋官の「司寇」は訴訟・刑罰のことを管轄し、冬官の「司空」は土木事業と作業や労役のことを管轄する。その職務内容には種々の業務があり、他の官職の業務と関連する仕事もあるけれど(※2)、おおよそ右のようになってい〔て、官職ごとの職分がきちんと定められ、役職と職掌が一対一で対応してい〕る。
 だから、もし藩に三人の重役がいたなら〔、現代の諸藩は三人を等しく家老に任命したうえで、月交代で月当番の一人にその月の藩政全体を処理させ、後の二人は遊ばせているが、そうではなく〕藩内の事を三つに分類して互いに近い事柄同士をまとめて一つの職掌とし、一人ずつそれぞれの職掌の長官とし〔、三人を常勤職として年間を通じて同時に働かせ〕、各人の才能が向いている分野に応じて〔どの職の長官にするかを決めて〕任用するのがよい。

補注:
※1 礼楽:ざっくり言えば儀礼と音楽。儀礼は人々の行動=身体を制御し、音楽は人々の感情=精神を操作する。儒家は、儀礼と音楽の二つこそが人々を善導するための両輪だとし、罰則で人々を縛り付けようとする法家のやり方を対処療法に過ぎないと批判し、自然体でいさせればいいとする道家の主張をネグレクト(育児放棄)だと非難してきた。なお「礼楽」と書くと古色蒼然とした印象を受けるが、儒家が言っていることは要するに、子供のしつけにおいて、挨拶や敬語、箸の使い方など正しいマナーを身に付けさせると同時に、クラッシック音楽を通じて情操教育を図るというのと同じ。
※2 息軒の注釈書の一つに《周礼補疏》があり、《周礼》において異なる官職同士で職務内容が重複している場合があることについて、解説がある。
 一藩の政治全体を執る者は、家柄にこだわらず、三人の重役の中で才覚が大きい者を選任すべきである。例えば、春秋時代の斉国の国氏と高氏は王族(宗室)で、その身分は管仲の上にあったけれども、その才覚は管仲に及ばなかったため、斉桓公は管仲に命じて政治を行わせた。鄭国の子皮は爵位も俸給も子産の上にあったけれども、鄭国の政治を行った者は子産だった。これらは昔の人がすでに実体験を通じて有効性を実証した方法なので、現代でも断じて行うべきである。

余論:息軒による幕藩体制の改革案で、「月番」の廃止を提案する。例によって、息軒は儒家として儒家経典を論拠に持論を展開する。
 息軒のこの文を読んで「月番」の意味を知った。以前は、五人の老中がいたら、五人ともが江戸城に常駐して、常に五人で協議して物事を決めているのだとばかり思っていた。だが実際は、五人で老中職をワークシェアリングしていて、一人が出勤しているときは他の四人は休んでいたようだ。ただ黒船来航などの緊急時には、五人の中から一人を大老に選び、フルタイムで独裁的に事に当たらせたようだ。

 武士はまず封建領主であり、自領の経営を優先しなければならないので、幕職や藩職といった公職は当番制にせざるを得なかったのかもしれない。

 明治維新の画期的な点というのは、もしかしたら国政から「月番」というパートタイム制度を全廃して、フルタイムで働く常勤の大臣や官僚を常態化した点にあるのかもしれない。

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