安井息軒《救急或問》05

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古聖帝明王ノ所行賢人君子ノ所論、賢才ヲ求ムルヨリ急ナルハナシ、然ルニ孟子

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ハ國君進賢、如不得已、將使賤踰貴疏踰親、可不慎乎(國君の賢を進むるや、已むを得ざるが如くす。將に賤をして貴を踰え疏をして親を踰えしむれば、慎しまざるべけんや)ト云フテ其意正ニ相反ス、其反スル處ニ付キテ考フレバ、聖賢人ヲ用ウルノ法、火ヲ以テ暗キヲ照スガ如シ、三代ノ頃ハ、皆世祿ニシテ家柄ヲ貴ブコト今ト同ジ、唐虞ノ稷・契・皋陶・殷ノ伊尹・傅說・周ノ呂望・膠隔ノ如キハ本ヨリ論ナシ、秦ノ百里奚・楚ノ孫叔敖ガ如キモ、皆千人ニ勝レタル俊傑ナルユヘ之ヲ擧ゲテ疑ハズ、所謂立賢無方(賢を立つるに方無し)ナリ、若(も)シ少許ノ優劣ヲ以テ、賤者ヲシテ貴者ニ踰ヘ疏者ヲシテ親者ニ踰ヘシムレバ、人々躁進ノ心ヲ生ジテ、大臣以(もち)ヒザルノ怨ミヲ抱ク、故ニ孟子又嘗テ貴貴、尊賢,其義一也ト云リ、然レドモ専ラ門閥ヲ貴ンデ、材能ノ士ヲ進メザレバ、貴者ハ自ラ安シ、賤者ハ利ニ走リテ人才益々衰ふ、是レ有民社(民社有る)者ノ大患ナリ、今平ラカニ其法ヲ考ルニ、賤者八分ノ才德アリ、貴者二分ノ才德アラバ、大賢ニアラズトモ、同格ニ用ヰテ苦シカラズ、賤者六分ノ才アリ、貴者四分ノ才アリ、其格一階ノ貴賤ナラバ、同等ニ用ヰるも可ナラン、三考黜陟ハ、功ヲ以テ進退スレバ此限リニアラズ。

 いにしえの聖帝明王が取り組んだ事や賢人君子が議論した事で、“賢才”(すぐれた才知の人物)を探し求める事より優先されるべきことはなかった。それにも関わらず、孟子は《孟子・梁惠王下》で「国君が賢人を大抜擢する時には、その人を抜擢すべきなのは誰から見ても当然で、むしろ抜擢しないわけにはいかない、というようにする。家柄の低い者を家柄の高い者の上に配置し、赤の他人を血縁者より身近に置いて重用する以上、慎重にしなくてもいいだろうか、いや慎重にしなければならない(反語)」と言っており、その意見はまさに定説と相反している。
 その相反するところについて考察してみると、いにしえの聖王や賢主が人材を登用した方法は、灯火で暗所を照らすかのごとく、我々の疑問を解明してくれる。夏・殷・周の三代の頃は、皆な俸禄を世襲して家柄を貴ぶ点では現代(※江戸時代)と同じだった。しかし唐虞(堯舜)の時代の后稷・契・皋陶や、殷代の伊尹・傅說や、周代の太公望呂尚や膠鬲のような名臣は言うまでもなく、春秋時代の秦国の百里奚や楚国の孫叔敖のような名宰相は、皆な千人に一人という飛び抜けて傑出した人物であったため、君主が彼らを抜擢したところで誰も疑義を挟まなかったのである。所謂る《孟子・離婁下》の「〔殷の湯王は〕賢人を抜擢するのに、手続きや前例に拘らなかった」である。

補注:
稷:后稷。舜に仕え、農耕を司った。
契:子契。舜に仕え、教育を司った。
皋陶:堯舜に仕え、司法を司った。
伊尹:殷の功臣。湯王を補佐し、夏桀打倒と殷朝建設を成した。もとは湯王の料理人だった。
傅說:殷の名臣。殷武王を補佐し、殷の中興を支えた。もとは土木作業員として城壁造りに従事していたが、殷武王が夢の啓示を受けて見つけ出し、宰相に抜擢した。
呂望:周の功臣。太公望呂尚。周文王に登用され、周武王を補佐して殷周革命に尽力した。もとは釣り人。《封神演義》の主人公。
膠隔:殷の遺臣膠鬲 。《呂氏春秋・慎大覧・貴因》によれば、殷周革命の際に、殷紂王が膠鬲を行軍する周武王のもとへ派遣し、進軍先を問わせた。もとは漁師。
百里奚:秦穆公の賢臣。市場で奴隷として売られていたのを、秦穆公が毛皮5枚で買い取った。
孫叔敖:春秋五覇の楚荘王を補佐した賢相。《左伝》では、敵国晋の士會が「德,刑,政,事,典禮,不易,不可敵也」と称えた。

※《孟子・告子下》:舜發於畎畝之中,傅說舉於版築之閒,膠鬲舉於魚鹽之中,管夷吾舉於士,孫叔敖舉於海,百里奚舉於市。
 これが、もし少しばかりの優劣によって、身分の低い者を高い者の上に配置し、赤の他人を身内より近くに置いたりすれば、人々には“後に続け”とばかりに出世にあくせくする気持ちが生じ、大臣たちは自分を重用してくれないことに恨みを抱くようになる。だから孟子は《孟子・萬章下》でまた「(能力は低くとも)家柄の高い人を尊敬することと、(家柄は低いけれど)有能な人(賢者)を尊重することは、一つである」と言っているのである。
しかしながらもっぱら家柄ばかりを重視して、才能ある“士”(知識人・読書人)を抜擢しなければ、家柄の高い者は立場が安泰だから自ずと安穏としてしまうし、身分が低い者は出世が望めないから目先の利益を追求するようになり、君主を補佐する人材はますます低レベル化する。これは人民と国家(社稷)を有する者にとって大きな悩みの種である。
 いま公平な視点から人材抜擢の方法を考えてみると、家柄が低い者に八分の"才德”(能力と人間性)があり、家柄の高い者に二分の“才德”があり、つまり相対的に見た優劣性に8:2の差があれば、たとえ家柄の低い者が絶対的な大賢者でなくとも、家柄の高い者と同格に扱っても問題はない。もし家柄の低い者に六分の“才”(能力)があり、家柄の高い者に四分の"才”があり、つまり能力差が6:4の関係で、かつ家柄の差が一段階どまりなら、同等に扱うのも可能だろう。ただし前述の「三考黜陟」(業績考査)は、功績によって昇進か辞職(自己都合名目の解雇)かを決定するのでこの限りではない。(つまり最初の人事配置には家柄を考慮して、家柄の高い子弟には下駄を履かせるが、その後の業績考査に関しては家柄を一切考慮せず、公正に行う。)

余論:門閥制度が厳然と機能している江戸社会で、「家柄」を越えて人材抜擢する方法について、考察している。身分制度の消滅した現代日本においては無意味な議論だが、本論の「家柄」を性別・年齢・国籍・学歴といった所謂る「採用フィルター」に置き換えれば、参考にすべき点が多々あろう。

例えば、いくら建前で実力主義を標榜しても、目下に出世で追い抜かれて愉快な者は少なかろう。後輩上司に嫉妬してその足を引っ張る先輩部下など、組織が飛躍するための大抜擢が組織構成員の士気を押し下げ、逆に全体の業績が下がるということもあるだろう。会社づとめをしたことがないので知らんけれども。

息軒に従えば、能力や人徳で8:2の開きがあれば、みんな年下上司に一目置いて従えるし、能力で6:4の開きがあれば後輩が同僚になっても素直に受け入れられる。だが「少しばかりの優劣」で年功序列をひっくり返すと、かえってよくない、ということになる。

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