安井息軒《時務一隅》(五)後段a

24-01 錢穀取り扱ひ候ふ役人は、古より私欲を働き、官物を盗み候ふ事多く候ふ故、取締り宜しき長官を稱して、"小吏を待つこと濕薪を束ねるが如し"と申し候ふ。
 又た刑律の法にも、監臨盗と申す事之れ有り、相ひ務め候ふ役場の官物を盗み、又は支配下より、物をば貪収し候ふ者は、卽ち監臨盗にて、餘の盗より罪一等を重く申し付け候ふ。
 右體の罪を贜罪と申し候ふ。餘罪は年限立ち候ふ上、再び其の人を用ひ候ふ事も御座候へど、贜罪を犯し候ふ者は、終身相ひ用ひ申さざり候ふ。是れ皆な廉耻の心を失ひ、國家の大害を引き出し候ふ故に御座候ふ。

意訳:納税されて国庫に保管された金品(錢穀)を取り扱います〔経理担当の〕役人は、昔から私欲にかられて、〔人民が税として政府に物納した〕「官物」(おおやけもの)を盗みます事が多いですので、〔そうさせない様に、役人を〕よく取り締まっている長官を称えて、〔司馬遷の《史記・酷吏伝》が前漢武帝期の寧成を評した言葉を借りて〕“下級官吏を厳しく監督して扱う様子は、湿って柔らかくなった薪を、縄が食い込むほどきつく縛り上げて束ねるようだ”と申します。
 また〔中国の《唐律》や日本の《大宝律令》などの〕刑法の条文にも「監臨盗」と申すものがあり、自分が勤務しています役場から〔税として物納された〕官物を盗んだり、または配下の部下から賄賂として物品を巻き上げますことが、つまり「監臨盗」で、他の一般的な窃盗罪より一等級を重い罪を申し渡します。
 右のような犯罪を〔公務上の横領ならびに収賄の罪、すなわち〕「贜物罪」(贜罪)と申します。他の犯罪は年限が経過しました上で、再びその人間を官吏として登用します事もございますけれど、贜物罪(贜罪)を犯しました者は、終身にわたって〔二度と〕登用申し上げません。これはみな彼らが〔官吏として最も重要である〕清廉潔白で恥をしる心(廉耻の心)を失い、国家に大損害を引き起こしましたがゆえでございます。

余論:《唐律》や《大宝律令》に記された「監臨主守自盗条」の解説。
 律令制の下では、官吏が罪を犯して罷免された場合、一定の年月が過ぎれば職務復帰を認めることもあったが、公金横領罪と業務上収賄罪で罷免された者だけは二度と公職復帰を許さなかったという。
 現代の日本でも、収賄罪や斡旋利得罪を犯した議員に対しては「公民権停止」処分がくだされるが、永遠ではなく、刑期終了から10年経てば復活し、再び立候補できる。


24-02 然れども只今此の法のみ御用ひに成られ候ひては、嚴に過ぎ候ひて、未だ人情に適せざる所御座候ふ。古人の辭に“吏祿いまだ豊ならず、小吏の廉を責ること勿れ”と申す語御座候ふ。至極人情に通じたる辭に御座候ふ。

意訳:しかしながら現代(※江戸時代)にあってこの法令のみご採用になられましては、厳しさだけに偏りすぎて、まだ人間の心理(人情)に合わない所がございます。〔北宋の初代皇帝趙匡胤という〕昔の人の言葉に“官吏の給与(祿)がまだ高くないうちに、下級官吏の清廉さを求めてはならない”と申す言葉がございます。極めて人間の心理(人情)に通暁した言葉でございます。

余論:息軒は、儒者の例に漏れず「復古主義」をアピールするが、息軒にとって「復古」とは、当時(幕末)における慣例化した制度の保守ではなくて、1000年以上前の律令制の復活を意味する事に注意が必要だ。鎌倉時代以降にできた法令・制度については、わりと平気で廃止を主張する。

 だが、律令時代の制度など、現代の歴史学の研究成果を以てしても判然としないことが多く、まして況や当時(幕末)をや、である。それは息軒とて例外ではない。

 つまり息軒は(たぶん)自ら考え出した新しい政策や制度を、そうとは言わず、あくまで”今では廃れてしまったが、もともと律令時代の日本にはこういう制度があった。現代的視点から見て優れているから復活させたほうがいい”という言い方で、提言するのである。所謂る孔子の「述べて作らず」の精神である。実際にあったかどうかなんて、誰にも分かりはしない。

 こうなると、もう「復古」なんだか「新法」なんだか、分からない。「復古」のコスプレをした「新法」と言ってもいいかもしれない。
 明治新政府の初期のキャッチコピーが「維新」ではなく、「王政復古の大号令」だったのも、大略これと同じである。

 その息軒にしてみると、《唐律》由来の「監臨主守自盗条」はともかく、近世の北宋王朝の制度導入を提言するのは、やや居心地が悪いと見え、「人情に通じたる辭に御座候ふ」という理由を挙げている。

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