安井息軒《時務一隅》(三)05

(6巻17頁表)

政事ハ、譬バ五穀に御座候、風俗ハ、譬バ田地に御座候、五穀の良種を下し候ても、田地不宜(宜しからず)候得者、西収【①】之實少ナク候、今日の風俗、弊壞【②】の甚敷と可申(申すべく)候、先ヅ弊俗【③】を不改(改めず)候てハ、良法美政も行れ難く候、扠(さて)弊風を改メ候ハ、教を先と致シ候事、勿論に候得共、風俗弊壞【④】の極に

(6巻17頁裏)

候得者、賞罰【⑤】の力を不假(假りず)候てハ、行屆兼可申(申すべく)候、諸葛孔明、蜀の劉璋【⑥】暗弱の後を承け、重賞峻罰を用ひ、風俗を一變致シ候ハ、此譯に御座候【⑦】、近より遠に及候ハ、治國の常法ニ御座候間、風俗を正され候も、先ヅ幕士御家人【⑧】より御始メ被成度候、慶長【⑨】以來、二百六十年の渥澤【⑩】に浴し、四民【⑪】の上に立チ候士人の事に候故、凡帶雙刀(雙刀を帶び)候程の者、驕奢に染候ハ、自然の勢とも可申(申すべく)候、然共田舎ハ諸事不自由にて、目を眩し人を迷し候者少く、其樂と致候處ハ、山野遊獵等に御座候、其上身分卑(※ヒク)く、威勢も輕く候故、愼み恐レ候處有之(之れ有る)より、猶少しハ古朴の風も殘り申候、幕士ハ世界第一の大都會【⑫】に居住し、物心付しより、其見聞する所、驕奢淫逸【⑬】の事にあらざる者なく、身分貴ク候故、驕慢之風別して【⑭】甚敷候、驕奢の害ハ、身上をすりきり、治亂の奉公出來兼候計りにも無之(之れ無く)、第一柔弱に流れ、武勇の心、地を拂候故、古より武

(6巻18頁表)

家に大禁と致シ候、源平以下の軍記【⑮】に、京軍を軽んじ、關東武士を恐れ候ハ、全く此譯に御座候、然ル處今日に至てハ繁華地を易(※カヘ)候に付、風俗も從て相變じ、諸國より關東武士を視候事、古の京軍同樣に相成リ候勢相見え、爲國家深可憂慮事(國家の爲に深く憂慮す可き事)に奉存(存じ奉り)候、然者今日風俗御引直しの趣意ハ、儉素古朴を宗とし【⑯】、人々志を立、功名事業を勵候樣、御仕向被成(成られ)候儀、専要【⑰】に御座候、是等の儀ハ、前條に申述候如く、教導其法を得候ハヾ、追々古に相復し可申(申すべく)候、今日風俗の害を爲し候小普請衆【⑱】、幷(ならび)ニ次三男【⑲】以下に御座候、人々心得惡敷と申譯にハ無之(之れ無く)候得共、上に御用無之(之れ無く)候故、身を棄物と相心得候より、三昧に振廻(ふるま)ヒ候故、兎角不行跡の衆、多く其中より出申候、小普請衆ハ、恒祿御座候故、賞罰の法正敷相成、撰擧の道行ハれ候得バ【⑳】、御教導如何程も行屆不申候、是迄の處、頭支配たる人、自身の組を回護(かば)ひ、火付盗

(6巻18頁裏)

賊【㉑】親殺しの類御座候ても、種々に申掠め【㉒】、其身を殺さず、其家に庇付不申(申さず)【㉓】候樣、取計ヒ候を第一と心得候故、右體の惡黨、少しも恐る所なく、暴惡益増長致し候、尤三河以來忠功の家【㉔】も有之(之れ有る)事故、手厚く御取扱被成(成られ)候儀、忠厚の美意に相叶、外國の及ざる所に御座候共、是迄二百六十年の深仁渥澤被下置(下し置かれ)候事故、先祖の忠功に御報被成(成られ)候儀、不足も有之間敷(之れ有るまじく)、先祖忠義の心より見候ハヾ、子孫の惡行を憎み、御上を恨候儀ハ少も有之間敷(之れ有るまじく)候、況(まし)て一を罰して百を戒候、御仁心より出候事に候得バ、皆々相愼み、行を正し、武を厲(はげ)み、庶人蕃昌【㉕】の基と相成ル事に候間、無此上(此の上無き)御仁政に御座候、然共罰ハ人心の所惡(惡む所)に御座候、是迄の弊風になれ、惡事を常と心得居リ候者を、俄に正法にて御罰し被成(成られ)候てハ、民を網する譬【㉖】に相類し、御仁政とハ難申(申し難く)候間、行儀心得不相改(相ひ改めざる)節ハ、家の滅亡にも可及(及ぶべき)段、前以て、

(6巻19頁表)

三度も五度も教諭相加へ、愈(いよいよ)不改(改めず)候ハヾ、其節罪に從ひ、御罰し被成(成られ)候樣致度候、二三男以下ノ心得宜敷(宜しき)者ハ、前條申述候如く、十五歳以上、頭支配【㉗】に姓名書留被置(置かれ)、養子相望候者有之(之れ有る)節、年齡諸事見合せ、右の内より相應の者、養子被仰付(仰せ付けられ)候樣被成度(成られたく)候、但血統有之(之れ有る)者【㉘】ハ、例外に御座候、若(もし)不心得にて、風俗を害し候者有之(之れ有る)節ハ、其罪當主より一等重く被成度(成されたく)候、但其罪ハ止其身ニ可申(其の身に止め申すべく)候【㉙】、御家人小給の徒ハ、僅の俸祿にて、繁華の地に致居住(居住致し)候故、暮シ方屆兼候より、種々の惡行も致出來(出來致し)候、此等ハ八王子同心【㉚】の如く、十里內に在住致し候ハヾ野菜薪類ハ、身自ら相辨じ、暮シ方心安く相成、筋骨健に、心も古朴に赴可申(申すべく)候得共、此節柄御政法御差支の廉も可有之(之れ有るべき)裁【㉛】、此儀調兼(調ひ兼ね)候ハヾ、近郊の地に於て、一組一纏に、宅地を廣く賜り、平生ハ菜園等致し【㉜】、其筋々へ通勤致させ、心得宜敷もの兩人相擇、小頭と

(6巻19頁裏)

爲し、組中の世話、此者共に仰付られ、緊要の役儀相勤候者ハ、御府内の端、役場出勤便利として、火災少き地を擇、 廨舎【㉝】を立、差置候樣被成(成られ)候ハヾ、只今よりハ暮シ方急敷(※イソガシク)、自然惡行も相減じ可申(申すべく)候、與力【㉞】以下、一世抱の徒【㉟】ハ、内分株(※カブ)の賣買と申事有之(之れ有り)、豪商蓄買、又ハ高利の金を貸候盲人の子弟等、右株を買受、武士と相成候【㊱】、是等ハ物心付候より、唯金錢の出入相心得候迄にて、外に何の藝能も無之(之れ無く)、武士道ハ毛頭不存(存ぜず)者共に御座候、箇樣の者、年々月々に相増候故、風俗卑劣に相成候儀、尤の事に御座候、古人ハ官を鬻(ひさぎ)【㊲】候を、惡政の極と致し候處、只今ハ其權下に移り、公祿を私に鬻候事、餘り制度なき事に御座候【㊳】、一世抱の者、其子弟の心得藝術、相應の者ハ、二代御召抱、勿論に御座候、若(もし)心得不宜(宜しからざる)歟(か)、又ハ株を賣候者有之(之れ有る)節ハ、祿席被召上(召し上げられ)、相應の人材被召抱(召し抱えられ)候樣被成度(成られたく)候、幕士の二三男以下、一生

(6巻20頁表)

父兄に掛り居リ候てハ、小身の衆ハ、妻帯も不相叶(相ひ叶はず)、諸事人並に不參(參らず)より、種々の不埒も致出來(出來致し)候、若シ以下の奉公にても御座候方、御座候ハヾ、國家の爲にも、他より御抱入被成(成られ)候より、餘情深く候間、御許容被成度(成られたく)候、是迄幕士の二三男ハ、以下へ養子に被參(參られ)候儀【㊴】、御制禁の由承り候、廉耻を養候一端にハ、良法に候得共、新規召抱と申筋に相成候得バ、其名正敷(正しく)、御奉公に身を屈し候儀、當人の耻辱にも不相成(相ひ成らざる)事に候、御譜代小給の徒も、養子と唱へ、内實ハ株を賣候義法に御座候【㊵】、此等も養子の身分相糺(ただ)し、筋不宜(宜しからざる)者ハ、御許無之(之れ無き)樣被成度(成られたく)候、右之條風俗を被正(正され)候根本と奉存(存じ奉り)候、猶上の儀ハ、事に觸れ類に從ひ、如何程も御取計ラヒ方可有之(之れ有るべく)候、人の骸にハ、元氣【㊶】と申者有之(之れ有り)、其力にて、一身の運動も心の儘に働き申候、家にも亦此元氣有之(之れ有り)、卽御家門御譜代の諸侯、 幷に御旗本衆、其元氣御座候、中にも

(6巻20頁裏)

御旗本ハ、ひたと御手に付居候故、御家門御譜代より國脈【㊷】に關係候事、重大に御座候、此元氣衰候により、自然御武威も衰候姿に成行、歎かしき事に御座候、旗本衆を貴び候も、御武威盛なる故に御座候、若(もし)御武威衰候ハヾ別に貴び候人【㊸】も有之(之れある)間致【㊹】候得バ(※(此間九字程蠹損【㊺】す、)【㊻】)國家の御爲計りにも無之、卽其身の爲に御座候、此旨能々御諭し被成度(成られたく)候、」【㊼】、次に八州の風俗を亂し候者ハ、公事師(※クジシ)【㊽】博徒に御座候、西國筋ハ、諸家の領分一纏に相成、法度行届【㊾】候故、博徒の頭と申者絕て無之(之れ無く)、御府内に遠く候故、公事師と申者も不承及(うけたまわらず)【㊿】候、關東ハ御代官支配【51】、幕士【52】知行人【53】雜り、種々の惡徒、跡を隠し候場所多く、法度不行届(行き届かざる)【54】處より、博徒の頭生じ、御府内に接近し、健訟【55】の風御座候より、公事師と申者致出來(出來致し)候、是皆地勢御制度より出候惡習にて、無餘儀(餘儀無き)【56】次第、依之(之れに依り)八州取締方【57】と申者、御立被成(成られ)候得共、此者共小俸

(6巻21頁表)

にて、召使ひ候岡引【58】と申者ハ、博徒半渡世【59】の者に候故、中にハ害を爲し候事、博徒より甚敷者有之(之れ有り)、民間にてハ、殊の外致患苦(患苦致し)候樣子に御座候、元來博徒ハ帳外者【60】故、民間にてハ、其生得惡行等、詳に相分り居候得共、召捕差出候得バ、失費多く、且ハ仇を致候事を心遣ひ、手出シ不相成(相ひ成らず)候、所詮地を限り、最寄諸大名へ、博徒捕捉の儀、被仰付(仰せ付けられ)候外有之間敷(之れ有るまじく)候、右手筋ハ、戸籍相除候節、村役人より、捕捉支配の大名へ訴出、其筋の役人より、數度教諭相加ヘ、愈(いよいよ)不相改(相ひ改めず)候ハヾ、早速召捕、蝦夷【61】開發に御遣し被成度(成られたく)候、是迄博奕渡世致し候者ハ、猶更教諭相加ヘ成ル丈良民に相復し候樣、被成度(成られたく)候【62】、總而人君の職ハ、民を赤子の如く取扱候儀、當然の事に御座候、承服不ル致(致さざる)段、前以テ相分り居候ても成丈無事に世を渡り候樣、御世話被成(成られ)候儀、即仁君の御心得に御座候、右の御心得にて、御取扱被成(成られ)、愈不相用(相ひ用ひざる)節、御

(6巻21頁裏)

咎被仰付(仰せ付けられ)候得バ、人君の職に御耻被成(成られ)候處無之(之れ無く)、御咎を蒙リ候者も御恨不申(申さず)、今日の御政事、教と申事絕無之(之れ無く)【63】、親民【64】の役人も、年貢取立と罪人吟味の外、御撫育教諭の廉少も無御座(御座無く)候故、民情不服(服せざる)模樣も、追々相見え申候、萬一外夷隙を窺候事抔、致出來(出來致し)候ハヾ、近國不服の民、國家の一大害を爲し候儀(計り難く)候、御代官手附手代【65】も、民間幷ニ私領の害を爲し候儀不少(少なからず)候、其善惡ハ、依品(品に依り)御代官にも遠及致し候樣、御法度御立可被下(下さるべく)候、公事師ハ、尤難教諭(教諭し難き)者に御座候、博徒ハ剛惡故、中にハ義侠に類し候事も有之(之れ有り)、用ひ方に依て、常人の爲し得ざる事を爲し候事も御座候、公事師ハ、柔惡にして姦知たけり、絕て用る所無之(之れ無く)、其害ハ博徒より甚敷候、教諭不相用(相ひ用ひず)候ハヾ、遠流の外有之間敷(之れ有るまじく)候、御府内も公事師と申者有之(之れ有る)由承り候、八十二軒の百姓宿【66】を始、心得不宜(宜しからざる)者ハ、相應の御咎被仰出度(仰せ出されたく)候、此二害相

(6巻22頁表)

除候上にて、親民の官、機に隨ひ能相導候ハヾ、風俗追々立直り可申(申すべく)候、總て愚民ハ驕子の如き者にて、兔角上令に從ハざる者に御座候、依之(之に依り)人君の事を、民の父母【67】と申候、民の父母と申候ても、一向慈愛に溺れ候譯にハ無御座(御座無く)候、父母の子を育候に、命を不用(用ひざる)者ハ、或ハ叱り、或ハ鞭打、甚敷に至りてハ、勘當も致候得共、其子を不便に存じ、何卒一生無事に世を送り候樣との念願ハ、始終絕え不申(申さず)、是卽仁ノ心に御座候、此心無御座(御座無く)候てハ、良法善政も、自然民心に相響、日頃官吏たる者も、退屈生じ易き物に御座候、依之(之に依り)親民の官ハ、必忠實慈仁の者を、御擇被成度(成られたく)候、(未完)【68】

注釈:
①西収:秋の収穫。陰陽五行説では、金徳は秋・西方・白色・「殺」もしくは「収」を象徴する。
②弊壞:古くなって壊れたり、腐敗すること。
③弊俗:悪い風俗・習慣。
④弊壞:底本は「弊」字の左下にレ点、右下に送り仮名(カタカナ)一文字が見える。直前の「弊壞」二字には見えない。思うに、「弊壞」という熟語は、構成からいえば「弊」(やぶれる、つかれる)と「害」(そこなう)という同義の漢字を並べてできており、他動詞+目的語からなる構成の熟語ではないので、返り点も送り仮名も誤衍であろう。今、ともに削る。
⑤底本は「賞罰」二字の横にそれぞれ"◯”を付して強調している。一般的な儒家が用いるワードではないからだろう。
⑥劉璋(~219):三国志に登場する諸侯で、父である劉焉の後を継いで益州(今の四川盆地)を治めていたが、自ら客将として招き入れた劉備に降伏して益州を譲る。劉備は益州を拠点に蜀漢を建て、ここに諸葛孔明の「天下三分の計」構想が実現した。
⑦《救急或問》(25~26頁)にも、孔明と劉璋への言及がある。
⑧幕士御家人:「幕士」は幕府の官僚。「御家人」は徳川家臣で、俸禄が一万石以下の者を指すが、必ずしも幕職にはない。なお御家人のうち"お目見え”(将軍に謁見できる身分)以上を特に「旗本」と呼ぶ。
⑨慶長:日本の年号。1596~1615年の、安土桃山時代から江戸時代にかけての約10年間に当たる。
⑩渥澤:恩恵
⑪四民:「士農工商」を指し、「全国民」を意味する。
⑫世界第一の大都會:江戸を指す。「大都会」という単語がすでに幕末に存在したとは……。
⑬驕奢淫逸:思うままにぜいたくをし、人の道に外れた淫らな行いにふけること。
⑭別して:とりわけて、ことに、特別に
⑮源平以下の軍記:《平家物語》、《太平記》などの軍記物。
⑯底本は「儉素古朴を宗とし」八字の各字に傍点を振って強調する。
⑰専要:最も大事なこと、きわめて大切なこと。
⑱小普請衆:江戸幕府内の組織である「小普請」に属する構成員。3000石以下の旗本と御家人で、かつ「無役」(幕職に就いていない者)の者で編成され、旗本を「小普請支配」、御家人を「小普請組」とした。小普請組は、年齢や病気、何らかの罪科で免職された者が多かった。
⑲次三男:武家の次男と三男。武家は嫡子相続(遺産は長男の総取り)だったため、次男・三男は他家に養子入りするか、部屋済み(子供部屋おじさん)で一生を終えるしかなかった。なお時代劇《暴れん坊将軍》で吉宗が世を忍ぶ姿も「旗本の三男坊」である。
⑳候得バ:文脈より推せば、「候得バ」は「候得共」の誤りではないか。待考
㉑火付盗賊:「火付け」は放火、「盗賊」は押し込み強盗、ともに江戸時代の重罪。
㉒申掠める:言い繕う、言葉巧みにごまかす
㉓其家に庇付不申:文脈から推せば、「其家に庇付」は何らかの刑罰である。或いは「蟄居閉門」であろうか。待考。ここでは、役職の無い徳川家臣を監督している小普請支配が、監督下にある御家人やその次男・三男が刑事犯罪を起こしても、それをもみ消して、「其家に庇付」されぬよう取り計らっていると批判する。
㉔三河以來忠功の家:徳川家康が三河領主であった頃から仕えてきた家臣団。
㉕蕃昌:繁盛。
㉖民を網する譬:《孟子》に見える有名なたとえ話。孟子は「民は恒産無くして恒心無し」(人民は生活収入が安定しなければ、道徳心が揺らぎだし、犯罪に手を染めやすくなる)といい、もし為政者が社会の治安を回復・維持したければ、何よりもまず人民個々の生活を安定させることに取り組むべきだと主張する。そして、もし為政者が福祉政策や景気対策に着手せず、ただ厳罰や取締強化だけで治安回復を図るとしたら、それは人民を犯罪に手を染めざる得ない状況に追い込んだうえで、人々が罪を犯すの待ち構えて片っ端から逮捕することになり、いうなれば事前に木々の間に網を仕掛けておいて、その網の方向に獲物を追い込んで捕らえるという狩猟をしているのと同じだと批判した。
◯《孟子・ 梁惠王上》無恆產而有恆心者,惟士為能。若民,則無恆產,因無恆心。苟無恆心,放辟,邪侈,無不為已。及陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可為也。
㉗頭支配:《時務一隅》(二)には「支配頭」とあるが、同じものであろう。小普請支配の主任を指す。禄高3000石未満の旗本・御家人で非役(役職に無い者)を小普請といい、小普請支配が簡牘した。《時務一隅》(二)では、幕府の人材獲得のために、支配頭(小普請支配)に命じて15才以上の徳川家臣に対して、漏れなく素行調査を長期継続的に実施するよう提案していた。以下では、嫡男に恵まれず他家の次男・三男との養子縁組を希望する徳川家臣がいた場合、この調査書をもとにして、幕府側から適切な人物を斡旋するよう提案している。
㉘血統有之者:血縁者。養子を迎える場合、血縁者から迎えるのであれば、上述の斡旋は不要だという。
㉙其罪ハ止其身可申:養子の不品行を罰する場合、彼を養子に選んだ養子先の当主は罰するが、元の実家は連座はさせない(という意味か)。
㉚八王子同心:八王子千人同心。江戸幕府の職制の一つで、天領の八王子(東京都八王子市)に配置された旗本及びその配下を指す。文久3年(1863)には、徳川家茂の京都上洛の警護を務めている。
㉛裁:様子、型
㉜平生ハ菜園等致し:ここで息軒は、武士にも農地を与えて自給自足させるよう提言している。豊臣秀吉の「刀狩」以来の兵農分離政策に対する挑戦ともいえる提言だが、息軒の地元の飫肥藩ではすでに導入されており、息軒も武士でありながら年少の頃は兄とともに農作業に従事していた。明治に入って四民平等・国民皆兵・北海道屯田兵制が実施され、兵農分離から兵農一致へと移行することになるが、息軒の主張はその先取りと言えよう。
㉝廨舎:役所の建物。
㉞與力:江戸幕府の役職。江戸では北町奉行と南町奉行所の二つを設置し、それぞれ与力25騎と同心100人を配置して、現代でいう警察・検察・裁判所の業務を担わせた。
㉟一世抱の徒:「町方同心」、所謂る「八丁堀」のこと。江戸の司法(警察・検察・裁判)を担う南町奉行所と北町奉行所には、それぞれ与力25騎と町方同心100人が配置されたが、罪人を扱う事から「不浄役人」と蔑まれることもあったため世襲とせず、一代限りの新規召抱えとしていた。
㊱右株を買受、武士と相成候:同心は一代限りであったが、実際には世襲が行われていた。それで町人が同心の家に持参金付き養子入りしたという名目で、実際には金銭で同心の人事枠(株)を購入し、そのまま町方同心となって武士の身分を得てしまう事例があった。ここで息軒は、その事実を老中に伝えているわけである。
㊲鬻:ひさぐ、売る
㊳古人ハ官を鬻~餘り制度なき事に御座候:政府が財政難などから官位を民間人に売る「売官制度」は世界各国で見られ、古代日本や清朝でも普通に行われていた。息軒がここで指摘しているのは、そうした従来の売官制度とは異なり、「同心株」は政府ではなく民間で売買が完結しており、その結果、政府の関知しない人物が勝手に官吏となっている現状である。
㊴以下へ養子に被參候儀:「以下」が指す所は未詳。農家や商家であろうか、或いは同じ武家でもより家格が低い家であろうか。
㊵御譜代小給の徒も~御座候:江戸時代には「同心」に限らず、旗本・御家人の身分も「株」化され、金銭で取引されていた。この武士身分の売買は、実際には多額の持参金付きでその家に養子に入るという形をとっており、そうした「持参金養子」を迎えた旗本・御家人が処罰を受ける事もあった。
㊶元氣:息軒は「気」の意味で使っている。「気」は、中国の伝統思想において万物を構成する均一な物質(素粒子)であると同時に、生命力を生み出す源(オーラ)として想定された。生物の生死は、この「気」の離合集散によって説明付けられる。
 これを迷信と捉えるのは、現代人の驕りだろう。西洋でも、19世紀ごろには「エーテル」という不可視の物質が空間に充満していると想定されていたし、科学者が「原子」の概念を受容するのは20世紀に入ってからのことである。というか、素粒子という中間構成物質が常に振動しているのなら、それは西洋思想の“Atom”より、東洋思想の“気”に近いのではないか。
㊷國脈:国家の命脈
㊸別に貴び候人:皇室を指すか。幕府の武威が衰えれば、皇室が権威を奪い返されることを指摘するのだろうか。
㊹有之間致:あるいは、「間致」は打消推量の助動詞「間敷」(まじ)の誤りかもしれない。本篇には「有之間敷」という表現が、他に四つも見える。もし誤字であれば、ここの文意は「将軍以外に敬うべき人はいるはずがないので」となり、文脈が逆転する。待考
㊺蠹損(とそん):虫食いによる損傷。思うに、話題が幕府と皇室の關係に及んだため、底本の校訂者が虫食いということにして故意に九字を削ったのではないか。
㊻底本には「候得バ」の下に、双行注で“(此間九字程蠹損す、)”とある。
㊼」:底本には「候、」下に閉じ鉤括弧がある。話題が変わることを意味するのか。なお上部に開く鉤括弧は見えない。
㊽公事師(くじし):江戸時代の民事訴訟において、訴訟当事者の代理人を務めた業者。
㊾届:底本は、ここでは「届」字に作るが、上では「屆」字に作っている。「屆」字に改めるべし。
㊿承及:「聞く」の謙譲語。「承及」二字で「うけたまわる」と読む。
51御代官支配:幕府より派遣された代官が統治する天領(幕府直轄地)。江戸幕府は封建制度を基礎とし、各地に諸侯を分封して自治権と世襲支配を容認したが、重要拠点については天領(幕府直轄地)として手元に残し、代官を派遣して直接支配を行った。
52幕士:御家人。ここでは旗本領を指す。
53知行人:藩主(譜代大名)や藩士。ここでは諸大名領を指す。「知行」とは、封建君主が臣下に領地・領民を分け与えて支配させることで、その領地を「知行地」といい、独立した司法権・徴税権・軍権と世襲支配が容認されていた。
54届:底本は「届」字に作る。「屆」字に改めるべし。
55健訟:人々が好んで盛んに訴訟を起こす状態。
56餘儀:他の方法。
57八州取締方:「関東取締出役」、江戸幕府の役職の一つ。関八州(上野・下野・常陸・上総・下総・安房・武蔵・相模)は天領(幕府直轄領)や私領(飛び地、諸大名領、旗本領、寺社領など)が散在しており、それぞれが一種の独立国家だった関係上、犯罪者に他領へ逃亡されると追跡は困難だった。この弊害に対処すべく設置されたのが関東取締出役で、天領・私領の区別なく関八州を巡回し、犯罪の取締に当たった。
58岡引:江戸時代に町奉行や火付盗賊改方など役人の手先になって,私的に犯罪の探査や犯罪者の逮捕を助けた民間人。池波正太郎《鬼平犯科帳》ではは、多くが元犯罪者である。
59博徒半渡世:半グレ。
60帳外者:この「帳」は、江戸時代に戸籍・住民票の役割を果たしていた《人別帳》(宗門人別改帳)のことで、「帳外者」とは《人別帳》に登録されていない人、所謂る「無宿人」を指す。
 例えば農家の次男・三男は田畑を相続できないため、地元で小作人になるか、都市へ出て仕事を見つけるしかなく、地元を出たあと何らかの事情で消息不明になると、《人別帳》から抹消され、「帳外者」となった。ちなみにこの《人別帳》は、檀家制度に基づいて各地の仏教寺院が管理していた。息軒は《救急或問》において、政府が戸籍を一括管理するよう提言している。
61蝦夷:北海道を指す。
62息軒の著作には《蝦夷論》があり、内地から人を移住させて、北海道の防衛と開発に当たらせるという屯田兵制を提言している。
63《救急或問》(9~10頁)に同じ話題がある。「一、今日ノ政事ト云ヘルハ年貢運上スルコト、盗賊ヲ緝捕スルノ三ニ止リ、治教ト云フヿ絕テナシ、」
64親民:民と直接接すること。《禮記・大学》「大學之道,在明明德,在親民,在止於至善」について、鄭玄は文字通り「民に親しむ」と解釈するが、朱熹は「親民」は「新民」であり、「民を新たにす」(人民の風俗を一新する)と解釈した。息軒は古学者を標榜していたが、《大学》の「親民」解釈については、朱熹説を支持している。
65手附手代:江戸時代において、地方行政官(郡代・代官)の下役として農政を担当した下級役人で、農民の中から任命された。
66八十二軒の百姓宿:江戸時代、訴訟・裁判のため地方から江戸へ出てきた者が泊まった公事宿(くじやど)の一つ。公事宿には、十三軒組・三十軒組・八十二軒組・四組合があり、前三者を百姓宿、後者を旅人宿と称した。
67民の父母:儒教では、地方行政官は人民を保護し、教導する責務を負うという意味で、「民の父母」と規定した。
◯《禮記・孔子閒居》子夏侍。子夏曰「敢問《詩》云『凱弟君子、民之父母』。何如斯可謂民之父母矣」。孔子曰「夫民之父母乎、必達於禮樂之原、以致五至、而行三無、以橫於天下。四方有敗、必先知之。此之謂民之父母矣」。
◯《禮記・大学》《詩》云「樂只君子、民之父母」。民之所好好之、民之所惡惡之、此之謂民之父母
68(未完):双行注にて“(未完)”とある。


余論:息軒による管理強化の勧め。
 息軒がここで取り上げる問題は、一つは「持参金養子」の問題、一つは「無宿人」の問題である。前者は、江戸時代に於いて武士の身分が「株」として売買されていた問題に言及し、武士に相応しくない人々が金銭で武士の身分を得てしまった結果、武家社会全体が衰退しつつあるとする。後者は、戸籍制度の不備が「無宿人」と呼ばれる存在を許し、犯罪取締を困難にしていると指摘する。

 前者に関しては、「日本学術会議会員の任命拒否問題」に通じるところがないでもない。後者は不法滞在の外国人による犯罪に通じるか。

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