安井息軒《救急或問》23

一新田畠ハ上ノ手ニテ開クベカラズ、民ヲ導キテ開カシムベシ、年貢ハ本田畠十分ノ一タルベシ、三年毎ニ檢見(けみ)【①】を遣ハシ、出來足【②】宜シケレバ、少シ宛【③】年貢ヲ增シ、六十年ニシテ本田畠七八分ノ處ニ止ルベシ、新田開墾ハ、財費ヘ力勞スルユヘ、税薄カラザレバ民勤マズ、老子ノ取者與フ【④】ト云ヘル是レナリ。

注釈:
①檢見:稲の刈り入れ前に、役人を農村に派遣して田を検分させ、年貢高を定めること。
②出來足:「足」は「悪し」か。作物の出来具合の善し悪し。
③宛:その。指示代名詞。
④《老子・三六章》:將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。

意訳:新たな田畑(新田畠)は、お上(政府)の手で開墾すべきではない。人民を指導して人民に開墾させなければならない。
   〔開墾したばかりの田畑(新田畠)の〕年貢は従来からある田畑(本田畠)の十分の一にするのがよい。三年ごとに、収穫直前の時期を選んで役人を派遣し、もし作物のでき具合が良ければ、少しだけ年貢を増やし、六十年かけて従来の田畑(本田畠)の年貢の七、八割のところまで引き上げたら、そこで止めるべきである。

    新田開発は、家財を費やし労力を要するので、これでもし税が安くないとなれば人民とて取り組まない。《老子》三六章に「將に之を奪はんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を與(あた)へよ」(もし彼からそれを奪おうと思ったら、無理に奪おうとするのではなく、逆にしばらく彼にそれを与え続けよ。そうすれば彼の方からすすんでそれを手放すだろう)と言っているのは、このことで〔税収を増やしたければ、逆に減税すべきなので〕ある。

余論:息軒の新規事業支援政策論。
 新田開発において一定期間「作り取り」という免税期間を設けるのが一般的である。息軒の提言では、新田に対する年貢は一般の田畑に対する年貢の10%からスタートして、三年ごとに段階的に引き上げていくが、一般の年貢の70~80%に達したところで据え置きとし、それ以上の増税しないという。

 理由は税制上の優遇措置がなければ、誰も新田開発などしないからである。冒頭で「新田畠ハ上ノ手ニテ開クベカラズ」とあるのは、新田開発にかかる費用を藩(政府)は一切負担せず、すべて民間の投資に委ねるという意味であり、それは同時に事業失敗のリスクをも民間へ背負わせるという意味である。そのリスクに対する見返りが、20~30%の恒久減税ということであろう。

 意外なことに、息軒が《老子》を引用している。《老子》は言うまでもなく道家の経典であり、道家は基本的にアンチ儒家である。確かに息軒の代表作には《管子纂詁》があり、また荻生徂徠からして儒家以外の諸子百家は”聖人の学問を補足するもの”として位置づけていたから、古学を標榜する息軒が《老子》を引用したとて怪しむに足りないのかもしれないが、正直、意外の念を禁じえない。
 思うに管仲は、《論語・憲問》で孔子が「管仲、吾其」(管仲がいなければ、今ごろ我々は夷狄に支配され、夷狄の習俗に馴染んでいただろう)と評価し、老子は一説によれば孔子に周朝の礼制を伝えたともいうので、ぎりぎり許容範囲だったのかもしれない。ちなみに息軒〈讀韓非子〉は、《韓非子》について”読む価値無し”としている。

    「税薄カラザレバ民勤マズ、老子ノ取者與フト云ヘル是レナリ」は、消費税に例えて考えると分かりやすいかもしれない。手っ取り早く税収を上げようと消費税率を上げると、消費マインドが冷え込んで景気が悪化し、結果的に法人税や給与所得税を含めた全体としての税収が下がるかもしれない。逆に消費税率を下げれば、短期的には税収は減るかもしれないが、消費が刺激されて景気が上向き、最終的に税収は増えるかもしれない。

 いずれにせよ、息軒はヒトの心理に通じているというべきだろう。

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