安井息軒《救急或問》14

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一古ク有來リタル法ハ、成ル丈改メザルヲ善トス、古人モ利百ナラザレバ舊法ヲ易ヘズ【①】ト云ヘリ、新法・新令ハ一事ニ善キ樣ナレトモ思ノ外ナル處ニ故障出來リテ改メザルヲ得サルコト有ルモノナリ、若シ隨テ令ヲ出シ、隨テ之ヲ改レバ、下世話ニ云ヘル、三日法度ニテ、如何程善法ニテモ、後ニハ民從ハザル者ナリ、故ニ舊法ヲ改メントナラバ、能々考究シテ後ニ定ムベシ、容易ニ爲スベカラズ、但シ中古【②】ヨリ始メタル、煩令・苛法ハ、一掃シテ民ト更始【③】セザルベカラズ。

注釈:
①《商君書・更法》:杜摯曰「臣聞之、利不百、不變法。功不十、不易器。臣聞法古無過、循禮無邪。君其圖之」。
 《史記・商君列伝》にも同文がある。杜摯は中国春秋時代の人で、秦国の孝公に仕えていた。商鞅が孝公に「変法」を建議した際、秦国保守派を代表して反対し、「利不百、不變法」と言った。ただ杜摯も「私めはこう聞いております」(臣聞之)と断っているように、この格言は当時すでに「昔の人の言葉」であった。
②「中古」は時代区分の一つで、中国では周王朝を指し、日本では平安時代を指す。ここでは後者。要するに《周礼》をベースとする唐王朝の六部尚書を導入した日本の律令制度が瓦解し始めて以降の時代。
③「更新」は、古きを改めて新しきを始めるという。《漢書・武帝紀》に「其赦天下,與民更始」とある。


意訳:昔から存在する「法」(決まり事、掟、しきたり)は、なるたけ改めないのがよいと思う。昔の人も“利益が百倍になるぐらいでないと、旧法を改定しない”と言っている。
新法とか新令とか呼ばれるものは、ある一点においては従来の法令より優れている様に思われるのだが、いざ実施しようとすると思わぬところに不具合が出てきて、結局は改定できなかったということがままあるものだ。

もし気まぐれに新しい法令を出して、〔予想外の問題が発生したからと言って〕気軽に取りやめたりすれば、それは下世話な言い方をすれば「三日法度」というものであって、〔一度でもそんなことがあると〕それ以降はどんな善法であっても、人民は〔「どうせ今回も三日法度だろう、すぐ撤廃されるさ」と高をくくって〕従わなくなるものである。

だから舊法を改定しようとするならば、よくよく〔新法がもたらすメリットやデメリットについて〕掘り下げて深く検討したうえで決めるべきで、軽々しく行うべきではない。
ただし平安時代(中古)から始まった煩法(煩雑な手続きを必要とする法律)や苛法(日常の細々とした事を規制する法律)は一掃してしまい、人民とともに古いやり方を改めて新しいやり方を始めなければならない。

余論:「改定」に関する息軒の考え。いかにも保守的な言葉から始まるが、言わんとする所は、①軽々しくシステムをいじるな、②新システムを導入する前には入念なチェックを行えということである。確かに、新監督なり新社長なり新政権なりが、自己アピールのためだけに先代のやり方(往々にして根幹の部分)を変更して大惨事となる事例は、枚挙にいとまがない。

 儒者と言えば守旧派というイメージが強いが、実際には儒者は改革派であることが多い。ただ儒者の習性として自分の主張している改革内容を、「これまで誰も思いつかなかった画期的で革新的なやり方だ」とアピールするよりは、「歴史の荒波に揉まれて長らく人々に忘れ去られていたのを、自分が経書を丹念に読み込むことで首尾よく復元に成功したんだけれども、実はこれこそが太古の聖王の時代には公式とされていたやり方なんだ(たぶん)」とアピールする傾向があるため、生じた誤解(でもない)である。
 一般の人は騙されてしまうが、儒者がよく言う「古の聖王の法」だが、確かなことは何一つとして判明していなくて、我田引水でどうとでも言おうと思えば言えるのである。

 だから息軒にしても、“煩雑な手続きやどうでもいい細々としたルールは一掃してしまえ”というにあたって、「中古より始めたる」と断り書きを入れざるを得ないのだが、その儒者息軒が最後を「民と更始せざるべからず」と締めるのは、幕末維新期の儒者の発言として見れば非常に興味深い。

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