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新実存主義とサバイバル・マインド

哲学とは、人間と他の生存物との違いをどう線引きするかを考える学問である。この分野で特に興味深いのは、ロックンローラーのような人気を誇る哲学者、マルクス・ガブリエルの考え方だ。彼のほぼ全ての書籍を読んできた僕も、彼のファンの一人である。彼は、心と脳を同一視する立場に反対し、その代わりに「条件モデル」を提唱している。

心と脳の条件モデルによれば、心は単に脳に還元することはできない。例えば、サイクリング(心、意味の場)と自転車(脳、宇宙、もの)の関係を考えてみよう。自転車の素材、形状、速度、その力源を詳しく説明しても、サイクリングの経験を完全には説明できない。同様に、水(世界:意味の場)とH2O(宇宙:物理・科学法則の場)は異なる。水がH2Oであるという認識は新しい学びをもたらすが、これは両者が異なるからである。

心的出来事は、さまざまな条件を部分として持つ一個の全体であり、それらの条件が合わさって出来事を成す。
条件の一つひとつは、当の出来事が生起するための必要条件であり、それらが合わさって十分条件を成している。自然科学による脳の説明は、目的論、唯物論、自然主義的還元論に陥る危険を避けなければならない。

ガブリエルによれば、人間とは、自己理解によって自らの存在を定義し、自己決定する存在である。本性や本質なるものはなく、僕たちは自己理解を通じて自己を形作る。

この哲学的な考察は、下條信輔先生の『サバイバル・マインド』という書籍の内容と共鳴する。下條先生は、僕が最も敬愛する科学者であり、心についての彼の見解は、ガブリエルの考え方と似ている。

下條先生は、「来歴」という言葉を使い、心理リアリティと実体リアリティの相互作用を説明する。彼はまた、脳科学がすべてを受け身のメカニズムに還元する傾向にあると指摘し、自発性が蒸発してしまう危険を警告している。しかし、センス・オブ・エージェンシーは消えないという考えに、僕も深く共感している。これはガブリエルの「人間は本質なき存在」であるという考えと共鳴している。

最後に、下條先生は感覚の重要性についても語っている。コミュニケーション可能性は了解可能性に基づいており、その基盤は世界観の共有に依存する。シェアードリアリティの不在は、心の実在性を問い直させる。

脳に対する目的論的、還元論的な社会科学的アプローチは、しばしば誤解を招く危険がある。しかし、このアプローチは聴衆に受けが良いため、僕自身もしばしばこれを用いる傾向があることを認めざるを得ない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 参考: 社会科学的アプローチは、価値や善悪を前提とし、正しい社会を実現するための方法を探求する。一方、自然科学的アプローチでは、価値の問題を排除し、事実に基づく客観的な分析を行う。どちらのアプローチも、対象に対して有効であることは言うまでもない。




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