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養成校としての大学教育はペダゴジーか、それともアンドラゴジーか?

成人学習理論ではアンドラゴジーは「成人の学習を援助するアートと科学」である。自己決定性や自己経験が尊重されるそうだ。対置するものが、子供のアートと科学を援助する、ペダゴジーである。アンドラゴジーは学びたいことを学ぶ、自己決定性や経験を尊重する。一般に自由な大学教育を想起させる。一方、ペダゴジーは知識や技術を教え込むことであり、義務教育や初学者の学習が想起される。

リハビリテーション専門職種などの養成校の教育はどちらであることが好ましいのか? このテーマは割と議論の余地が大きいかもしれない。

例として、国家試験合格率を挙げようと思えば、学生の質が低ければ、スケジュールや行動を管理されるようなペダゴジーになりえる。そういったことに時間を使えば大学生として自由な時間、アンドラゴジーに使える時間は減少する。そうならないように、時間の確保が必要だという声も一方では挙がるだろう。

人は因果関係を間違う動物であるが、はてさて、時間があればアンドラゴジーを身につけられるであろうか??

先に挙げたように、アンドラゴジーには自己の決定性、経験を尊重することと言われているが、その根底には、自分の価値観に対する省察が重要だろう。アンドラゴジー教育では、そういう価値が変容するような情報を与える必要がある。困ったことに、自分も含めどれだけの人がそのようなものをもっているのか?

まとめると、状況に応じて使うべき戦略は変わってくるだろうが、ペダゴジーからアンドラゴジーに学びをシフトさせていくという意識が教える側に必要である。How toとしてはカリキュラムや、課題設定、それらから出てくるパラメーターを頭の中にいれておき、運動療法の難易度設定と同様に、それらの難易度を操作することになるだろう。

テーマは変わるが、ここで一つ卒後教育というものを考えてみたい。
卒後教育、とくに1年目の医療者に実施され、新人教育といわれる。この時期に、病院の部門の諸先輩方から色々と教えていただくことになるが、新人教育が終わると、院内での教育はなかったかの如く、ぱたりと終わる。

これはアンドラゴジーですかペダゴジーですか?
新人教育はおそらくペダゴジーである、その証拠として協会からガイド的なものが出ている。成人に、独り立ちしたセラピストに真に必要なアンドラゴジーはどこにいったのだろうか。その橋渡しはうまくいったのだろうか。もしかしたら、そんな意識もないのかもしれない。

アンドラゴジーを想定した新人教育を実施するというのは、一つ面白いのではなかろうか。








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