親が病気になって考えること

父親が病気になった。ガンらしい。
2ヶ月前にこの報せを聞いたとき、自分でも驚くほど心が動かなかった。
むしろ心が動かなすぎて、戸惑った。

そんな心に今日やっと動きがあったので、少し整理しておきたいと思う。

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ここでもちらちら書いているが、私の父はモラハラ気質の人だ。
家父長制と男尊女卑の権化のような人。
暴力こそ1回しかなかったものの、幼い頃から理不尽なことで怒鳴りつけられ、気まぐれな不機嫌に怯え、過ごしてきた。

大人になってから「毒親」という言葉を知り、これだ、と思った。
数々の毒親話を読めば読むほど、程度の違いはあれど、そこには自分の過ごしてきた幼少期の辛さや、あまりに低い自己肯定感の理由が、言語化されているように思えた。

そうして、「許さなくてもいい」ということを知った。

私は、社会人としては心から尊敬できる父に、お父さんとしても尊敬できる人であって欲しかった。
好きでいさせて欲しかった。
でも、それは無理なのだと、一緒に過ごした時間の中で思い知った。
そして、離れて暮らしてみて知った驚くほどの開放感と安心感に、やはり無理だったのだと諦めた。

それでも、何不自由なく育ててもらったくせに親をそんなふうに許せずにいる自分の心と戦っていた。
だから、「許さなくてもいい」というのは、目からウロコが落ちるような発見だった。
父を「毒親」と断じることで、心の安定を図ってきた。

そしてそんな父がガンになった。
どうしても、その場ですぐに寄り添うような言葉をかけてあげたい気持ちになれなかった。
自分が辛かった時に父に寄り添ってもらった記憶がなさすぎて、なんと言葉をかければ自分の心と折り合いをつけられるかわからなかった。

相手は生死に関わる病気と戦っているのに。
私の幼少期は、こんなときでさえ意地を張らないといけないほど本当に酷かったのか?
「毒親」と言ったって、我が家はライトな方だったのではないか?
育ててもらったのに、このまま何もしなくて本当に後悔しないか?

そんな自問自答をしながらも、結局心は動かず、同じ家で育った妹と、同じ気持ちを分かち合って安心したりしていた。
一方でとても狼狽して必死にどうにかしようとしている兄を、やけに冷静な目で見てしまう自分がいた。

病状はあまり芳しくないらしい。
母からグループLINEにちょくちょく報告が入る。
昨日、家族全員が頼りにしている叔父(母の弟)から、連絡が入った。
この局面を、家族で団結して乗り越えなさいと。

そしてきょうだいで少し会話をした。
兄には言えないが、妹と兄の奥さんには正直な気持ちを話した。
もちろん協力は惜しまない。でも心が動かない。
信頼できる2人に吐露することで、少しでも罪悪感を軽くしたかった。

そしてぐるぐる考えていると、今日久しぶりに面会が許可された母から、父のビデオレターが届いた。
画面に映る父のあまりに痩せ細った姿に、苦しそうな息遣いに、さすがに衝撃を受けた。


そんな苦しそうな姿で、私の誕生日に何もできなかったことを謝っていた。

なんの涙かよくわからないが、泣けて仕方がなかった。

ずるいよ。
誕生日なんていつも一言LINEをくれるだけのくせに。
その一言のLINEさえ今年は届かなかったことに、闘病中とわかっていても、父との関係を自分から希薄にしているこの期に及んでも、少し拗ねていた自分が子供みたいじゃないか。

そんな辛そうにしながら「心配かけてごめんね」なんて言われたら、今の今まで心が動いていなかった私が、ひどく恩知らずで冷たい人間みたいじゃないか。

そんなに痩せ細って老け込んで、いつも尊大だった記憶の中の父とは別人じゃないか。

私の心の中では今も子供の頃の私が泣いているのに、全部許さないといけないみたいに感じるじゃないか。

そんなふうに色んな気持ちがぐちゃぐちゃになった。

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私の過去も葛藤も、すべてを理解してくれている夫に、ぐちゃぐちゃな想いを話した。

夫は、
「揺れてるなら背中を押すよ。
俺に行けって言われたから、会いに行くってことにしなよ。
俺にしろって言われたから、今すぐ連絡してみなよ。
やらない後悔よりやる後悔の方がいいよ。
俺のせいにしていいから。」
と言ってくれた。

夫は私が一番欲しい言葉をいつも間違いなくくれる。
夫がそうやって背中を押してくれたから、行動できた。
病気が発覚して以来、初めて父に直接連絡をした。
今まで葛藤していたのが嘘のように、すんなりと言葉を紡ぐことができた。
状況が許せば、会いに行ってみようと今は思えている。

今は、心の中で泣いている子供の頃の私は一旦横に置いておいて、大人の私として、父と接しようと思う。
大丈夫、大丈夫。夫が私の心を守ってくれるから。

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