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【and just like that... 】悲しみの先にあるものは?

and just like that をリアルタイムで観ている方はどれほどいるだろうか。
日本で観るにはu-nextの高い月額料金を払い、深夜まで起きて配信を待つわけで。
リアルタイムで観るにはハードルが高い。

でも、とても楽しみにしていた。
それが全10話、終わってしまった。

ネタバレになるからこれから観たい方はここで引き返してほしい。

まず、1話で驚きと悲しみが一気にくる。
しかも最後の最後に。
視聴者を完全にポカンと置き去りにしていく。

シリーズ6までNYを駆けずり回って探し求めたMr.BIGが急に亡くなるのだ。
確かにキャリーとBIGは歳が少し離れているように思うが、BIGも急逝するには早い年齢だと思う。
(もちろん、制作上の裏話は置いておいて)

シーズンを全部、映画も何度も観ている者として、ようやく手にした確実な愛を謳歌するには短く、ただの視聴者なのに心に大きな穴が空いた。

ajltの新シリーズの最中、キャリーは大きな喪失と、喪失してれば良いだけではない、現実と日常があって、周りの友達にも、歳を重ねただけの悩みがあり、キャリーはアナログからデジタルへ移行する仕事に慣れなくてはいけなくて。
友達は勿論固い絆で居るものの、独りぼっちに見えてしまった。

キャリーの人生はまだ続くし、いつまでも独りで居たくないという願いから、恋人を見つけようとしても心がついていかない。
世界から切り取られてしまったようで、なんとも言えない不安と悲しみが伝わって、毎回終わる度に深い溜息を吐いてしまう。

人生、思い通りに生きる人も沢山存在すると思う。
何にも捉われず、思うがままに生きる人もいるよね。

私は思うがままに生きれないタイプの人間で、
人生うまく行かないな、と思う事が多い。

というのか、歳を重ねると
自分の人生を自分でどうするかではなく、
親、義理の親、子供、配偶者、の問題が
自分の人生に複雑に絡んでくる。
決して好き勝手に振る舞えない問題が起こる。

キャリーのように、夫の死という自分ではどうにもならない事は現実、ある訳で
落ち込んでいるばかりでは、ご飯も食べれないんだ。

シーズン6の最後に
キャリーとBIGはパリのプラザアテネの前の橋で
NYに帰ろう話してアメリカに帰国した、

そのパリの橋の上からBIGの遺灰をまいて
BIGとの本当の別れが出来た。

前に進まないといけない。生きてるから。

悲しみの先にあるものは
決して埋まらない喪失感と日常。
そして、受け入れてくれる友達や新しい恋人。

それにしても
and just like that は辛かった。

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