前を向き続けたい

「応援されない環境でも前を向いている人」
これがこの世で最も尊敬に値する人間の一人だと思う。

それがどれだけ難しいことだろう。

応援されるような環境での努力は、正直そこまで苦では無いと思っている。だからぼくは、

東大生が「受験勉強は地獄でした」とか、
プロ野球選手が「誰よりも苦しい思いをしてきたから今がある」とか、
ルックスのいい人が「可愛い人には可愛い人なりの苦労がある」とか、

そういう意見にはあまり同情できない。

計算が得意な人が計算問題を100問解くのと、苦手な人が10問解くのは、どちらのほうが大変だろうか?どう考えても後者だろう?後者のほうが胆力が必要だろう?応援されるべきだろう?

ただ世間で評価されるのは当然、計算が得意で100問解いたほうだ。
まあそれはそうだ。実際、アウトプットしてる価値が違うから。このあたりが「得意な分野で努力しろ、その方が幸せだ」と言われる所以だろうが、そのあたりの話は今回はいい。

世間は、10問しか解かなかった人に対して、「100問解いて努力している人もいるんだぞ、だからあいつは算数ができてお前はできないんだ」と言わんばかりだ。

実際人間なんて、一度自己肯定感が上がってしまえば、あとは勝手に努力できる。だから上の例で言えば、計算が得意な人が100問解くことに、別に尊敬の念など覚えない。

重要なのは、まだ自己肯定感が上がり切っていない(=苦手な)状態にある人への動機づけだ。応援と支えだ。
周りの人は、そういう状態にある人にもっと尊敬の念を持つべきだ。
その人は精神面含め、かなり負荷のかかる難易度の高いことをしている。或いは自分がその当事者なら、もっと自分を褒めてあげるべきだ。

周りから認めてもらえない状況での努力ほど、胆力が必要なものはない。
「応援されない環境でも前を向く」ことがどれだけ大変か。
でもだからこそ、それを実践している人はめちゃくちゃ輝いて見える。
自分も隣にいて、一緒に頑張りたくなる。
前を向いている限り、自分には一生できないだろうと思っていたことが出来るようになる可能性がある。
99%はどうせ上手くいかないよ?期待してはいけない。
でも1%を引く可能性がある。
まだ見ぬ世界を、見れる可能性がある。

一方で、下を共有して楽になることだって勿論ある。
弱い人間なら、正直それも必要だと思う。
朝から酒を飲んで、自分を傷つけてフワフワして、公園で夜を明かして。

でもやっぱり理想は、下を共有するより、前を向く時間のほうが、少しだけでもいい、長くあれる人間でありたい。或いはそういう人を見ていたい。

だって、まだ見ぬ世界を一緒に見たいじゃないか。

苦しい状況で前を向くことは、とても難易度が高いことだ。
その状態に身を置くことを恐れずに生きていけるようになりたい。

前を向いて倒れて、立ち上がることにももう疲れて。
それでも、泣きながら前を見つめて生きていたい。



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