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暁部隊って知ってましたか?

死ぬまでに行きたい~広島に行ってきました
日本人だから、日本で生きているから
原爆について語れる人でいたいのです。

人は生きる時代を選べない。
その頃の彼らの犠牲の上に今の私たちの平和がある。

広島の街は外国人でいっぱいで、
特に欧米人の多さが目立ったのですが
2016年にオバマ大統領が
来日されたことが影響しているらしいです。

神風特攻隊は有名だけど
水上の特攻隊〜暁部隊の存在を初めて知りました。
平和祈念館の企画展で来年2月まで資料と共に
ビデオで元少年兵が当時の様子を語ってくれます。

ビデオ会場に人が集まるのかな?と思っていたけれど
どんどん、外国の方が集まってきて
用意された椅子では足らずに、後ろで立って見る人
床に座って見る人、大勢の人の姿に胸が熱くなりました。

戦争に平和に
無関心ではいられない人たちが集まった

戦争中、純粋な少年たちが
飛び級で士官になれるという謳い文句を信じ
暁部隊に入ったが、それは極秘の特攻隊。
国のための捨て石となる覚悟を持った少年たちは
通称マルレと言う小さな舟で特攻訓練をしていました。

8月6日 いざ出発の朝、
広島市内に原爆が投下され
戦地ではなく
そのまま被爆者の救助に向かうことになるのです。

絶対に水をやるな!上官からの言いつけでした。
口々に「水を!水をください!」
そんな瀕死の言葉を聞く中を歩き、
一人の息絶えそうな女性に一杯の水をあげたそうです。
どれほどの喜びの顔だったのか。。語ってくれました。

広島市内のあまりの惨状に
「戦争はやめた方がいいです」と伝えると
上官から返ってきたのは
まだまだ戦争をやる気の言葉でした。
この時のむなしさって、どれほどのものだったのかって思います。

死んだ子供を抱えたご婦人を助けた元少年兵のお話では
ご婦人は奈良の人だったそうで、
少年兵と同郷とわかり
汽車で帰れるように
子供をご遺骨にしてあげたそうです。

自分の子供が焼かれるのを見るのは辛いだろうと
少しだけ時間を過ごしてきて欲しいと伝えた時
とても悲しい目をしていたと言います。
少年兵は名前も名乗らなかったけど、
それから後、僅かなキーワードを辿って
家までお礼に来てくれたそうです。

原爆投下の8月6日〜暁部隊の少年兵たちのドラマ
人間の感情を通り越えてしまった出来事もあった
10代の少年にとってどんなに過酷だったのかな。

暁部隊と言う特攻隊の存在と
原爆犠牲者との関わり合いを覚えておいてほしい。


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