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奢りたいなら普通に奢ればよくね?漢気ジャンケンの意味- 漢気ジャンケンに参加しない勇気とは?

少し前の話題になるけど、女性に奢るか奢らないか、どっちなんだい!みたいな問題があって、まぁ、この手の話題は、たびたび起こるから、未来永劫、この論争が終わることは無いかと思うんだけど

個人的な見解としては、奢る価値がある女性には奢るし、奢るだけの理由があれば奢るというところに落ち着くかと思う。

要は、女性には奢って当たり前、ではなくて
自分が奢りたいときには奢るというスタンスだ

女性はデートのためにオシャレにお金をかけて云々みたいなことを言う輩もいるだろうが、そんなの知ったこっちゃない。
オシャレに金をかけた結果、奢ってもいいよとこっちが思うラインに到達しないブスには1円足りとも払う価値が無いのだ
すべては実力至上主義。これが真理。

で、まぁ、今回はこの話題から派生した話にもなるんだけど、漢気ジャンケンというものがある。

漢気ジャンケンとは、飲食店等に行った際に、参加者でジャンケンをし、ジャンケンの勝者(もしくは敗者)が全員の飲食代等を奢るというゲームである。

詳しくは知らないが、ちらっと調べた感じだと、石橋貴明の「とんねるずのみなさんのおかげでした」とかいう寒い番組で生まれたゲームらしい

大学生とかでよく行われているらしく、ルールのシンプルさと能力に左右されない公平性とか、まぁ、様々な理解できない理由で支持されているらしい

で、こっからは、僕個人の見解なんだけど、僕はこの漢気ジャンケンなるものが大嫌いだ。
というより、この漢気ジャンケンをしようという輩が大嫌いだ

先日、居酒屋に行った際に、女性客が数名居て、常連さん同士で、その女性客にお酒をご馳走する漢気ジャンケンをしようと提案する馬鹿がいた
その馬鹿は、常連の中では一番の年配であり、年の功なのかなんなのか理解はできないが、僕以外の常連客はその馬鹿にいつもペコペコしている
そんな状況もあってか、その馬鹿が漢気ジャンケンをしようと提案すると暗黙の了解の内に、参加が強制されることになる

当然、僕も誘われたわけだが、僕は漢気ジャンケンが心底嫌いなので当然断った。
どうして漢気ジャンケンが嫌いかって?

まず、第1に、その女性客に酒を奢りたいなら、周りを巻き込んだジャンケンなどせずに、普通に奢ればよくね?と思うからだ
どうして、漢気ジャンケンなんてものを挟むのかが理解できない。別にジャンケンに勝っても何の得も無いのに、負けた時のリスクだけが残る。
こんなの、どう考えても馬鹿がするゲームである

そして、第2に、明らかに女性客にカッコつけるために行われているパフォーマンスにしか思わないからだ。
この漢気ジャンケンを提案する馬鹿の神経回路がどうなっているのか、理解できないし、理解する気も無いが、女性の前だから漢気ジャンケンを提案しているのは明らかで、そのカッコつけに周りを巻き込む神経が本当に理解できない。そんなに奢りたいなら勝手に奢ってろよ、馬鹿としか思えないのだ

そして、第3に、テレビの中で行われるゲームを現実世界に持ち込む短絡さが、もはや自分は馬鹿ですと自白しているようなものとしか思えないからだ。

そんなこんなで、僕はその馬鹿が提案する漢気ジャンケンに参加しなかったのだが、参加しなかったらしなかったで、「どうして参加しないの?」という空気感になり、ここは戦時中の日本かよとさえ思った

周りが右を向いたら右を向く、左を向いたら左を向く

目の前で起きている出来事の本質を理解することもなく、ただただ波風を立てないために周りに合わせて生きようとする和の精神については、多少、理解はできるが、それでも、周りに迷惑をかけてまで物事を進めようとする輩の提案さえ波風を立てないようにするこの日本人の感性には本当に嫌気が刺す

ほんの少しでいいので、日本人にこういったくだらないゲームに「NO」を叩きつけられる勇気が浸透することを切に願う

ところで、だいたい、こういったテレビで行われる意味のないゲームを提案する人って体育会系の脳筋野郎が多いのは何でだろうね?

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