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優しいコメンテーターを育てていく

大なり小なり自分の中にあるトラウマをみていくと、傷ついた私、そしてその傷ついた私に向かって何か話しかけてるコメンテーターの私、そしてそのコメンテーターに気づいてる私。

この、三つの私が自分の中にいます。

できたら静かな場所でじっと観察してみてください。

私たちは普段どっぷりと傷ついた私に同化して、それを「私」だと信じ切って握りしめているので、まずはこの同化から少しでも外れていくことが、苦しみから楽になる第一歩です。

そしてもう少し見ることができたら…
コメンテーターの私は何と言っていますか?
傷ついている自分に向かって「もっとしっかりしろ!」とか「いつまでそんなこと気にしてるんだ!」など厳しい声をかけていませんか?

そして、傷ついた自分を分析したり、どうやったら楽になるかもがいてhow toを探す…。

でも、ここでぐっとこらえて立ち止まってほしいのです。

そしてこの傷ついた自分をとことん感じる。じーっとじーっと。
この最中思考が暴れだすことがよくありますが、あー、そうだよね、とそれすら受容して、更にそこに留まり引き続き傷ついた自分の思い・感情・感覚にフォーカス。

深呼吸など入れながら落ち着いてきたら、次はその傷ついた私に優しく寄り添っていきます。

道で泣いている子供がいたら、きっと「どうしたの?」と優しく話しかけるでしょう。
大切な友達が傷ついていたら、そっと耳を傾けて心を寄り添わせるでしょう。

そんな感じで、傷ついている私に寄り添い受容してあげるんです。

こんな風に優しいコメンテーターが育ってくると、自分と対話できるようになってきて、ぎゅっと縮こまっている傷ついた私が、ゆるんでくるのを感じることができます。

心の声を聴いて行きたいところに行ったり、食べたいものを食べるといった行動レベルでのセルフラブもとても素敵なことですが、この対話と自己への共感・受容をしていると、行動レベルの欲求はどちらでもよくなったり、今この瞬間への抵抗が緩むので、目の前にある仕事や家事に優しい気持ちで取り組めたりします。

この瞬間、私たちの本質は穏やかで優しさそのものなんだという、なんとも言えない静かな幸福感に包まれます。


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