見出し画像

ヒトラー、スターリンと戦うためのマネジメント 1月10日 Management as the Alternative to Tyranny 圧制に代わるマネジメント

1月10日 水曜日のランチタイムになりました。
今日は「十日えびす」ということで、関西のえびす3社(西宮・今宮・堀川)はじめ、関西の神社では昨日から大賑わいだそうです。
特に、今朝の、えびす宮総本社 西宮神社「十日えびす」、午前6時に「開門神事福男選び」。かけっこ競争で、歳男を選ぶ行事がありました。毎年、頭のイメージに足がついてこなくて転ぶ人が続出しますね。先着5,000名の参拝者には「開門神事参拝之証」の無料授与があるそうですが、9日から11日までの3日間で毎年100万人の参拝客が訪れるとのことです。

 また、大阪の戎さんといえば、今宮戎神社さん。

こちらも西宮同様、9日から11日まで100万人の参拝客が訪れるとのこと。「商売繁盛、笹もってこい」の音頭が耳に残り大盛況です。この関西の戎さん参拝者さんの勢いに乗って、年初の震災がありましたが、今年こそ良い年にしていきたいものです。
また、「きたのえべっさん」と呼ばれる堀川戎神社さん。

この3日間は、関西の落語家さんや芸人さんが出演されるとのことで賑わっているそうです。

ということで、今年に入って早10日ですが、お正月休みと成人の日の三連休まで合わせて8連休の上、「十日えびす」までセットで休み、という方もおられるでしょう。そうすると、実稼動0日なんですが、それもそれでいいですね。とはいえ、そろそろウォーミングアップ。ちょっとずつ負荷をかけていきたいタイミングですね。

さて、#ドラッカー365の金言 今日のテーマは、#Management_as_the_Alternative_to_Tyranny (専制・圧政政治に代わるマネジメント)
#圧制に代わるマネジメント

テキストは、『マネジメント-課題・責任・実践』(1974年版 野田一夫訳)の上巻 前書き「専制に代わるもの」25〜27ページより

#自立した組織に代わるものは全体主義による独裁である

という提言も、ドラッカーのウイーン→ベルリン→ロンドン→ニューヨーク→カリフォルニア、という居住と思想の流れを見ていると、逆な言い方な気がします。

というもの、彼は、欧州でソ連共産主義、ナチズムの専制、全体主義政治を体験したからこそ、英国、そして、さらには米国へわたり、独裁専制に代わる体制として、企業組織が自由闊達に発言して、社会を動かす民主制に期待しました。そして、その民主制を担保するため、個人が集まった企業や組織を効果的に経営する手法として「マネジメント」を「発明」したんじゃなかったっけ?

 組織が自立性を失うならば、個人はありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立性を許さない全体主義が押付けられる。自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。

社会が全体主義に陥らないためにも、組織は責任をもって成果を上げることが求められる。

自律的な組織体が機能して業績を上げるのに取って代わるのは自由ではない。取って代わるのは全体主義の専制であるからである。

我々の多元的な「組織体の社会」にある組織体が、責任ある自立性の下に業績を上げるものでなければ、個人主義は失われ、また、自己を十分に発揮するチャンスがある社会も失われてしまう。そして、完全な規格化が押し付けられ、誰もが自立性を許されなくなる。

 それゆえに、我々の組織体に、責任をもって自律的に高い達成水準で業績を上げさせてこそ初めて、多元的な組織体の社会での自由と尊厳を守れるのである。
 だが、組織体に業績を上げさせるのは、経営者とマネジメントである。業績を上げ、責任あるマネジメントだけが専制に代わるもので、専制に対する我々の唯一の防衛策なのである。

#さらに成果をあげるには何をなすべきでしょうか

つまり、ドラッカーは、個人を埋没させる全体主義社会とならぬよう、企業・組織が業績を上げ、責任あるマネジメントを経営者が行なうことを説いていたのでした。単に、企業業績や成果を上げることを目的としていたわけではなく、全体主義、独裁に勝つために企業経営を我々に教えていた、ということです。なるほど。午後からも高い視点も忘れず、やっていきましょう。

サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!