「なんでこんなになるまで(ほっといたの)!」って叱ること。
人は大きな問題を抱えるとそこから目を逸らして周りから隠す性質がある。確かに。自分も心配かけたくない、と隠してきた。だが、隠しきれない。発覚すると、やっぱり言われた。
「なんでこんなになるまで!」
怒られたから、また隠す。
また大きな問題を抱える。
今度こそ隠しとおそう、と無駄な努力を繰り返す。
ある時に発覚。
「なんでこんなになるまで!」
叱られる。
良い歳をした、おっさんだろうと、小さな子供であろうと。
問題が発覚するのを恐れて隠して、さらに、問題が大きくなる。
山火事みたいなものだ。
どこかで向き合わなくちゃいけないけれど、
叱られる。絶対降格だ。クビになる。生活が破綻してしまう。
どうしたらいい。どうしようもない。。。ああ、家族になんといえば、、、。
隠し遂せるはずもなく。。。
わが国には、かつて問題が発覚したら、その責任の取らせ方、として、「切腹」という掟があった。
いくら武士といえども、死という恐怖が強すぎて、人はますます問題を隠すようになる。死んでしまっては、問題発覚が分かったとしても、解決する人が現場からいなくなるだけで、根本解決にならない。
後で歌舞伎や浪曲の演目になって
「なんでこんなになるまで!」と叱るのは、問題の本質的な解決方法じゃない。
そうじゃない。
「怖かったでしょう辛かったでしょうよくここに来てくれました」って言わないといけないんだって。
米国では、問題発覚を恐れて隠す人間の習性に対して、隠さず解決に協力すると減刑される制度「司法取引」があると聞く。日本でも、「ひき逃げ」しないで救急活動に協力すると、減刑の対象になるという。
「罪を憎んで人を憎まず」
それは綺麗事だ。犯罪者は処罰されるべきだ。
その考え方も理解できる。被害者になったことがある人なら、誰でもそう感じるだろう。
事故を起こした。罪は償う必要はある。現状回復義務というそうだ。
経済事故、事件?の場合、たとえば、株の誤発注などは取り返しがつかない。担当者をクビにする。マニュアルの整備。社内規則の厳格化。。。それらが再発防止の全てになるのだろうか?
善意を悪意に利用する人も少なくないから、「腹切」文化?のわが国には馴染まない、という声もあるが、本当のところ、どうなんだろうか。
人間の習性から今一度、制度を考え直す、という取り組みもきっとどこかで為されているといいな。
簡単に結論が出る話ではないけれど、外科手術のように、組織から問題部分を切り落とせば一件落着、ということか、迷宮入り、となる場合もある。
考える機会を教えてくださりありがとうございます。
#共感コミュニケーション 、も一回やり直そうと思った日曜の朝です。おはようございます。今日も誠実に。ありがとうございます。
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