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政治家が票を買うために政府に支出させる公金じゃぶじゃぶ国家の顛末は・・・? 2月22日 The Pork-Barrel State ばらまき国家

なんというタイムリーなテキストなんでしょうか。
とても、30年前に発刊されたテキストとは思えません。ドラッカー翁の先見性というか予見力には脱帽です。
議員が人気=票取りのために政府から出金させて 民間やNPOへ #公金ばらまき国家  になり、議員と結びつく組織が #公金チューチュー するばかり。現在の制度で本当に国民のためには公金が使われているんだろうか?

#2月22日  
#The_Pork -Barrel_State( #議員の人気取りのために政府に支出させる国庫交付金や地方開発金漬け国家)
#ばらまき国家

おはようございます。

このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。
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さて、

こちらでは、地に足をつけた、私の体験や学びから得た
実践マーケティング記事を1日1本以上をご紹介しています。

ぜひお読みください。

今日のACTION POINT


#あなたの住んでいる市の財政均衡を要求する住民投票案を起草してください
#そのために市の歳入と歳出を調べてみてください

まさにこれ、#暇空茜 さんが請求した住民監査請求で公金の不正支出への監査請求を行なっていることです。その点、東京都の方が問題が根深いというか、課題が多いわけです。ここから次の段階が財政均衡や減税などを求める住民投票とかになってくると思うんですよ。

小中学校から、金融の授業を行なうってことらしいけれど、地元自治体や地元企業のバランスシートをみて、監査する、みたいな会計の授業の方が重要じゃない?そちらも進めるべきじゃないかなぁ、知らんけど。

今日のテキストは、『 #ポスト資本主義社会 ――21世紀の組織と人間はどう変わるか』(1993年発刊) 6章 #国民国家から巨大国家へ #租税国家#冷戦国家#巨大国家 、#ばらまき国家 216〜231ページ

#政府が市民社会の主となりその形態を定めはじめた

 第一次世界戦までは、いかなる政府も、国民所得の5~6パーセントしか国民から取上げられなかった。歳入に限界があるかぎり、民主主義国家であろうと、帝政ロシアのような絶対君主であろうと、政府は極度の制約のもとに活動せざるをえなかった。その制約ゆえに、政府は自ら経済的な機関とも社会的な機関ともなりえなかった。
 しかし第一次世界大戦後、そしてさらに第二次世界大戦後、予算編成は事実上あらゆることにイエスをいうプロセスを意味するようになった。歳入に限界はないとする新しい状況のもとにおいて、政府が市民社会の主となり、その形態を定めはじめた。財布の力によって思い描くままに社会を形づくろうとするようになった。しかも最悪の状況として、国がばらまき国家となった。
 ばらまき国家は自由社会の基盤を侵食する。国民の代表たる者が、票を買うために特定の利益集団を豊かにし、国民を丸裸にする。これは市民のコンセプトの否定である。事実、急速にそのように理解されるようになっている。

(『ポスト資本主義社会』)

かつては、日本が巨大国家の例外だったそうです。

 唯一の例外が日本だった。「日本株式会社」という言葉によって欧米で一般に理解されているものの中には、真実と言えるものはほとんどないしかし、たとえこの「日本株式会社」なるものが真実だったとしても、少なくとも第二次大戦後の日本は、冷戦国家にだけはならなかった。
 また日本の政府は、経済の主人になろうともしなかった。社会の主人にもなろうともしなかった。
 日本の政府は、完全な敗北の後、19世紀型の伝統的な線に沿って自らを組織した。もちろん、軍事的には選択の余地は与えられていなかった。しかし日本の政府は、社会的な事業にも種多岐的には、直接ほとんどてをつけなかった。(中略)
 日本では、政府はいまだ、主として後見人であるに過ぎない。

同書、222ページ

この姿勢が変わったのが、2009〜12年の悪夢、民主党政権でした。民主党政権は明らかに巨大国家を志向しました。菅直人首相の行なった太陽光発電への買い取り支援金制度であり、2011年東日本大震災の復興増税施策、そして、現在表沙汰となったColaboをはじめとする弱者支援を名目にNPOや一社へ公金を流すスキームの問題です。

これらは、特定少数の選挙民に対する国庫からの莫大な金の移動であり、それに政治家、行政、マスコミが大きな役割を果たしていて、それに対して世論(特に、twitter世論)が怒っている。

 民主主義国家は、公選された国民の代表が、その第一の仕事として、貪欲な政府から選挙民を守ってくれるという確信を前提として機能する。
 したがって、ばらまき国家は、自由社会の基盤を侵食する。
 公選された国民の代表たるべき者が、票を買うために特定の利益集団を豊かにし、国民を丸裸にする。これは、市民性の概念の否定である。

同書、231ページ

ここでもドラッカーの先見性が証明されている。これから先、私たちが帰るべきところは変えていくことが大事だろう。やっていきましょう。


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