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12月25日 The Unfashionable Kierkegaard 信仰

おはようございます。今日はクリスマスでございます。今年もありがとうございます。今日も #ドラッカー #365の金言  で人生と経営を深めて参りましょう。

本日 #12月25日  テーマは、 #The_Unfashionable_Kierkegaard (訳:流行らないキルケゴール)

#信仰

昨日に引き続き、「実存主義」キルケゴールの「信仰」について記したテキストから。

#信仰は人に死ぬ覚悟を与える
#しかし同時に生きる覚悟を与える

 キルケゴールの信仰も、人の実存にかかわる恐るべき孤独、隔離、矛盾を克服することはできない。だがそれは、人の実存に意味を与えることによって、耐えられるものにする。
 全体主義の哲学は、人に死ぬ覚悟を与える。そのような哲学の力を過小に評価することは危険である。悲嘆と苦難、破局と恐怖の時代にあっては、死ねることは偉大なことだからである。だが、それだけでは十分ではない。
 これに対し、キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与える。しかし、同時に生きる覚悟を与える。信仰とは、人は自立的な存在でも、主人でも、目的でもないが、責任と自由をもつ存在であるとの認識である。信仰とは、人が本質的に孤独であることを受け入れることである。そして、たとえ死の瞬間までであったとしても、神とともにあることの確実さに圧倒されることである。(『すでに起こった未来』 12章 もう1人のキルケゴール 倫理的概念への逃避 296ページより)

ACTION POINT
#社会による社会の救済は常に失敗してきました
#個としてのあなた 、#および社会的存在としてのあなたを支えている生きる目的は何でしょうか。

昨日・今日とテーマはキルケゴール。

本書の編者であるマチャレロ教授は、なぜドラッカー全39冊の著書の中から「365の金言」の12月24日・25日において、キルケゴールについて記した1949年論文を選んだのか、聞きたいところです。

ドラッカー・ソサエティ・ヨーロッパのシニア・アドバイザー、リチャード・ブラム氏は、この「すでに起こった未来」に収録されている「もう1人のキルケゴール」について次のように記しています。

 ドラッカーがキルケゴールに出会ったのは、ハンブルクでの修業時代、1928年のことである。キルケゴールの『畏れとおののき』を読んで、自分の人生が社会の中で行われるだけでなく、実存的、精神的な側面がさらに必要であることが初めて明らかになった、とドラッカーは回想している。ドラッカーがキルケゴールについての論文を書いたのは1933年のことで、その背景には、ドラッカーにとって「チェコスロバキア最後の真の民主主義者」であり、幼なじみだったチェコスロバキアの政治家ヤーン・マサリクの殺害にも表れているスターリン主義の恐怖が広がっていたのである。ドラッカーの論文は、当時の状況下で共産主義になびき、完成された社会での救済を期待する多くの西欧知識人に対するものと、西欧の物質的優位性に言及するだけで知識人に対抗する体制側の反応との、二つの方向での分断を試みていたのである。ドラッカーは、1993年のエッセイ集『エコロジカル・ビジョン』(日本訳「すでに起こった未来」)にこの文章を再録した際の解説で、「『流行らないキルケゴール』は、このように、実存的、精神的、創造物の個々の次元を肯定するものとして書かれました。社会だけでは十分でないことを主張するために書かれたのである。希望を肯定するために書かれたと、その背景を述べている。

1920年代、第一次大戦の被害と恐怖、そして続いて起こった大恐慌により資本主義に絶望した大衆は、全体主義に救いを求めたが、1930年代に行われたヒトラー&ナチスによるユダヤ人大量殺戮と戦争に再び絶望に。

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では、と知識人がすがった共産主義はスターリン主義となり、1940年代第2次大戦。スターリンによる東欧・ソ連における虐殺によって全体主義・共産主義にも絶望感を抱くこととなった。欧州は焦土となり、第2次大戦後まもない1949年は、深い絶望の淵にあった時代。

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戦後の大衆は、資本主義も、全体主義も、共産主義も、そして戦争も救いにも、助けにもならず、破壊され、焦土となった国や故郷を見て、絶望に打ちひしがれたんだろうと思います。

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戦争、政治イズム、経済、政治体制を見直し、取り替えても、取り替えても、悲惨な戦乱が続き、人が死に、ユダヤ人というだけで拉致・殺戮される。失業、インフレ、戦災、不況が続く混乱と絶望下において、個人を救うとまではゆかないまでも、拠り所となるのは、「信仰」であると、ドラッカーはキルケゴールに救いを見たのかも知れません。

 奇しくも、著名人が我が子を失う事件がありました。

 私自身はそんな経験をしたことはありませんが、もし身近にそういう方が居られたら、なんと声をかけられるでしょう。

 かけがえのない人を失った悲しみの中に立ち、絶望の淵におられる人は、自らも命を絶ってしまわれるかも知れません。

そうすると、唯一の結論は、人間の実存は悲劇と絶望における実存においてのみ可能だということになるのか。自我を殺し、涅槃すなわち無の境地に立つことにのみ唯一の答えを見る東洋の聖人たちが正しいということになるのか?(『すでに起こった未来』 12章 もう1人のキルケゴール 291ページより)
 キルケゴールは、もう1つの答えを出す。人間の実存は、絶望の中ではない実存、悲劇の中ではない実存として可能であるとする。彼はそれは信仰による実存として可能であるとする。(中略)信仰とは、神において不可能が可能となるという確信、神において時間と永遠が一体となり、生と死が意味を持つという確信である。信仰とは、人間は創造物であり、自律的な存在でも主人でもなく、目的でも中心でもないが、しかし責任と自由を持つ存在であるということの認識である。信仰とは、人間が本質的に孤独であることを受け入れることである。そして、たとえ「死の瞬間まで」であったとしても、神とともにあることの確実さに圧倒されることである。(中略)信仰において、人間は普遍的な実存となる。もはや孤立した実存ではなく、意味のある絶対的な実存になる。(『すでに起こった未来』 12章 もう1人のキルケゴール 291〜292ページより)


今日のテーマとアクションポイント、英文では次の通りです。

Faith enables man to die; but it also enables him to live. (信仰によって人は死ぬことができるが、同時に生きることもできる。)

ACTION POINT: Salvation by society has always failed in the end. Find a purpose that sustains you both in society and as a human being. (deepl訳:社会による救済は結局はいつも失敗します。社会的にも人間的にも自分を支えてくれる目的を見つけよう。)

資本主義、全体主義、共産主義というイズムを基にした政治システム、社会による個人の救済はいつも失敗してきました。

では、絶望のままなのか、というと、そうではない。ドラッカーは、キルケゴールは、絶望の淵にいる個人に、「信仰」における実存により個人を救うことができるという答えを出していたといいます。


「こんにちでは、誰もが信仰で立ちどまらずに、さらに先へ進んでいく・・・あの昔の時代には事情が違っていて、信仰ということは一生涯の仕事であった。つまり信ずるという技倆は、数日や数週間で身に着くものとは考えられなかったのである。あの頃は、立派な戦闘をたたかって信仰を守りとおしたかの練達の老人たちは、臨終にのぞんでも、その心はなお若々しく、若い日を鍛えたあの不安とおののきを忘れはしなかった」(「おそれとおののき」桝田啓三郎訳)

19世紀当時は信仰とは、今のような簡単なことではなく一生涯かけて行うことだったようです。

「信仰とはつまり、個別者が個別者として普遍的なものよりも高くにあり、普遍的なものに対して権能を与えられており、その下位に従属しているのではなく、その上位にあるという逆説なのである」

信仰で、救う、といっても、

人の実存にかかわる恐るべき孤独、隔離、矛盾を克服することはできない。だがそれは、人の実存に意味を与えることによって、耐えられるものにする。(『すでに起こった未来』)

絶望に「耐えられるものとする」のです。

永遠の精神と日々刹那の社会生活という狭間の中で、個人は記号化され、尊厳や生きた証などが破壊と失業・不況など人生が絶望の中にあり、もがき苦しむ個人は「信仰」によって、なんとか「今日耐えられる」。

 キルケゴールの信仰も、人間の実存にかかわるおそるべき、孤独・隔離・矛盾を克服することはできない。しかし人間の実存は、それに意味を与えることによって、耐えられるものにすることができる。全体主義の哲学は、人に死の覚悟を与える。そのような哲学の力を過小評価することは、極めて危険である。悲嘆と苦難、破局と恐怖の時代、すなわち我々の時代にあっては、死ねるということは偉大なことだからである。だが、それだけでは十分ではない。これに対して、キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与えてくれる。しかし、それは同時に、生きる覚悟をも与えてくれるのである。(『すでに起こった未来』296ページ)


愛を込めて。メリークリスマス。

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