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じゅううくにちめ(かれーはん)

昨年から続く流行病に纏わるアレコレで飲食店がぽこぽこ無くなっている。
高松に住み始めてよく行くようになっていた瓦町駅裏の「うま屋」がしれっと店を閉じていたのは個人的に大きなショックだった。
大きなショックとは言っても二ヶ月くらい店から遠のき、ほぼ毎日店の近辺をチャリでウロウロしてたのに閉店してから店に貼られた張り紙を見た時は本当に落胆した。

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めちゃくちゃ美味い!ってわけじゃないけど、リーズナブルな価格設定とどれを食べても均一に「優しい味」がしてアロマ効果のような料理を出す店だった。
初老の夫婦で賄っており、どちらもフレンドリーさは無いものの干渉してこない姿勢で、お気に入りの店を見つけても店員に顔を覚えられて話しかけられるようになると足が遠のいてしまう僕にはちょうど良かった。
定食を頼むとついてくる小鉢も毎回違っていてそれもまた楽しみだったんだ。

そんな忘れえぬ今ではもう食べられない飲食店の味って誰しもがあると思います。
最近そんな本が出て僕も読みたいんですが、積読が山ほど溜まってる僕には手を出せるわけもなく。

僕にとっての忘れえぬ味はやはり楽々亭のカレー飯ですかねえ。
自衛隊にいた頃、駐屯地から徒歩十分くらいに位置する楽々亭は若い自衛官の腹を満たす場でもあった。

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当時はソーシャルネットワーキングサービスもやってなかった頃でまだ優良だった頃のスタービーチしかやっていなかった身としては楽々亭の写真が一枚もない。
ネットに何かあるか探すと善通寺のことをブログに書いている人がいて、まだ楽々亭があった頃の写真を見つけた。
懐かしいなあ。
平成16年といえば僕がちょうど自衛隊を退職した年だ。

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楽々亭は初老の夫婦が賄う街中華だった。
作務衣を着た寡黙な主人と大人しそうな度のきついメガネをかけた奥さん、そこに娘と思しき当時の僕より少し下っぽい女子がたまにバイトで入っていた。
ハーフっぽい顔立ちのその女子が目当てで行ってた部分も大いにあった。

楽々亭に行き始めた頃は定食ものを頼んでいて、楽々亭の定食は仕切りのあるお重のようなワンプレートで出される。
メインのもの、メインのものと同じくらいの量の野菜炒め、漬物、ごま塩のかかった白飯、それにスープ。
当時から少食だった僕には十分すぎる分量だ。
しばらく通えばやはり色々と試したくなる。
そこで出会ったのがカレー飯だ。
要は中華丼のカレー味と言ったものだが、これがまた本当にクセになる味で。

中華丼の骨子といえば前半と後半で変わる味の変遷にあると思っている。
とろみを帯びた熱々のシャキシャ野菜が時間を経るごとに水気を出していき、前半とは違った食感と味に変わる。
寡黙な店主が出来上がった中華丼の頭に缶に入ったカレー粉をファサッとかけて出来上がるカレー飯は中華丼以上に味の変遷がクッキリするのだ。

カレー飯を覚えてからは注文の90%はカレー飯で、たまにフィーリン転換で定食を頼む。
ハーフっぽい顔立ちの女子がいた時はカレー飯もより一層旨みを増してたと思う。
その子の顔ももう覚えてないけど。

自衛隊を辞めてからも年に五日間は予備自衛官として善通寺で宿泊する機会があり、行く度に必ず一度は楽々亭に行っていた。
何年か目の予備自衛官招集訓練で善通寺へ赴くと楽々亭はその看板を下ろしていた。
何が理由なのかはわからないけど、ハーフっぽい顔立ちの女子をチラ見しながら食すカレー飯はもの二度と食べられないんだなと思ったら少し寂しいフィーリンになった。

全国のどこかに、もしかすると香川にも中華丼のカレーバージョンはあるのかもしれないけど、足繁く通った楽々亭のカレー飯は二度と食べられないんだ。

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