療育手帳取得まで 学生編

26歳で療育手帳取得

これまで多くの非行をしてきました。

犯罪にならなくても一緒に働く仲間や一緒に住む身内までも不幸にしてしまう場面がありました。



私は2023年の夏に療育手帳を取得しまた。

今回は話しが長くなるので分割で手帳取得までの私の行動を振り返っていきます。

今回は学生の頃の私に対しての学校の対応についてブログにします。

小学生の頃は全教科が得意ではありませんでした。

クラスメイトが盛り上がる図工、体育、PCを使用した授業でもとても苦戦しました。

基本的にクラスの人と協力して何かをやり遂げる能力が低かったと過去を振り返って思います。

人との能力の差を図る定規はまだ自分の心の中になかったので他人と比較のしようが無かったですが酷かった。

中学生の頃は更に苦戦します。

苦戦というか勉強に対しての意欲が全く湧かないぐらいになりました。

先生からは。。
「ちゃんと聞いてる?」って何回も聞かれました。

心の中で「ちゃんと聞いても理解できない内容もあるのに。。」

って先生に対して怒ってました。

嫌いな教科はみんな一つはあると思います。

嫌いながら「ある程度の点数を取れた!」という会話が当時の自分には理解できなかった。

中学生の頃は苦手な教科のテストの点数は一桁のもありました。

ちょっとできる教科で20点ぐらい。

テスト勉強を1教科しっかりやってないので当然の結果ですが当時の自分は学校にただ通うだけで精一杯でした。

自分の精一杯を当時、理解して下さる先生や友人は0人でした。

友人は奇跡的にいましたが自分のテストの点に言葉を失ってました(笑)

テストと言えばテスト期間中に出される課題(宿題)ですが私は全部答えを写して先生に提出してました。

「答えを写しては意味がない」って先生から言われてもこのやり方は変えませんでした。

やり方を変えなかった理由は、「答えを書き写さないと人生が終了する」と思っていたからです。

単位が取れず卒業できなかったらどうなるのか?という不安との戦いが宿題をやっていて襲っていました。

今だったら学校の単位が取れなくても生きていける国の制度があるコトは知識として持っています。

知的障害は国の制度まで広い視野で物事を考えるコトが困難なので「学生の頃は不安しかなかった。」

結果として中学生を無事に卒業して高校生になるコトができた。

高校は偏差値10〜20ぐらいの学校だったコトもあり卒業して社会人になりました。

学生の当時の私のように勉強ができず苦しいが周囲を頼れない人は多いと思います。

はやく良い支援者を見つけれるコトを願ってます。

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