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僕の原体験③ ~中学受験失敗~

原体験シリーズ第3弾。
今日は僕の小学校時代を振り返ってみようと思う。

やっててよかった公文式の成果

僕は兄の影響で今も世の中にたくさんある「公文式」に幼稚園の年中くらいから通い出した。

そう、あの「やっててよかった公文式」である。
当時は全然気にも留めてなかったけれど、公文式を作ったのは公文さんなのよね。笑

もし僕が発明したら「やっててよかった廣瀬式」ですよ。爆
意外と、その人の名前を使っているサービス名って世の中には多い。

話を戻して。

当時から(今もそうみたいだけど)自分の学年よりも3学年先を修了したら、なんか表彰みたいなことをされていたようで。始めた当初から、最低でも2学年先のことを学習できるようにと先生からも言われていたような気がする。やはり兄へのライバル心から、ゲームを楽しむが如く公文を楽しむようになり2学年先ペースは守りつつ、小学校高学年まで通い続けた。

そのおかげか、小学校へ入学してから算数のテストは常に100点。
計算テストも一番最初に終わるもんだから、終わった時間で他のことをしていたような気がする。(今思えば生意気なタイプの生徒だったと思う。笑)

僕が公文を今息子にも通わせている理由はただ一つ。
日々小さな成功体験を重ねることが出来るから。そしてその成功体験を重ねることで、

勉強が出来るようになる→周囲(親や先生)から褒められる→悪い気はしない→さらにがんばる→褒められる→嬉しい

という正のエンドレスループに突入できるからである。

なんなら途中からは勉強の出来る賢い廣瀬くんを演じなければならないといいう強い使命感みたいなものを抱いていた時期もあったように思う。笑

野球との出会い

スイミングが嫌いで嫌いで。あんまり上手じゃなかったからかもだけど。スイミングへのバスの送迎前に、おもいっきり仮病で休んだことがオカンにバレて、そこまで嫌いなら辞めなさいと許しを得ることが出来た。

そして小学3年生の秋。当時、きっかけは全く覚えていないが地域の少年野球チームに入団することになった。

このチームがその地域では常に決勝戦くらいまでいくような強さで、僕が6年生の時は大阪市長杯という200チームくらい参加の大会でなんと準優勝をしたこともある。

週に4回の練習、これがとにかく嫌だった。そして守備はまぁ人並以上には出来たんだけど、打つほうが全くダメで。典型的な2番セカンドタイプでした。

平日は学校終わってからすぐ帰ってグラウンドで夜9時頃まで練習。土日は朝から晩まで練習試合や公式戦。とにかく生活の半分以上を野球が占めていた。

僕は前述した通り、お世辞にも野球がうまいほうの部類には入れない。でも200チーム出場する大会で準優勝できたのだ。(一応断っておくが7番とか8番セカンドでレギュラーだぞ!笑)

野球で学んだことがひとつある。
一人の力はそこまで強くなくても、チームで力を合わせれば勝つことができる。

そう、チームの素晴らしさってやつだ。
一人より皆のほうが喜びを分かち合えるし、誰かがつまづいた時に支えることもできる。さらに誰かがしたミスを帳消しにするホームランを打つことだってできる。

今、会社を経営しているのも野球をしたからなのかもしれない。
これが個人スポーツだと、おそらく社長をしていない。
それくらい野球が僕に与えた影響は大きい。

塾に通い始める人の横で遊び続ける日々

そんな野球漬けの毎日だったので、塾に通う時間などあるわけもなく、野球以外の週の半分の時間は習字、公文以外はとにかく遊んだ記憶しかない。

なんなら塾に通い始めたやつを、「必死に勉強なんてしちゃって」って思っていた。僕のライバルは同級生ではなく、兄だったから。笑

※兄との激闘をご覧になりたい方は、是非②も読んでみてください。

そんな受験とは無縁の小学校生活を送っていた僕に、青天の霹靂とも言える出来事がおきたのは、中学校入学への準備期間が始まった年明けの1月のことだった。

「僕、受験する!」ってよ。

当時(今はどうかわからないが)、大阪の私立中学の試験に先駆けて、奈良県などの他府県の入試が行われていた。1月中旬のある日、奈良県の有名な進学校である西大和学園の入試を終えた友人が、その受けた試験問題を小学校に持参してきたのである。

その友人が他の受験組の友人に、「こんな問題やったわー!」って情報共有をしていたのを見ていたら、「ヒロセも出来るか?」みたいな感じで、冗談半分にその問題を見せてきた。

僕からすれば人生初の入試問題(ちなみに算数)。ザっと目を通した時に頭の中に「え、そんなに難しくないやん。これ俺でも解けるんちゃうの」という、今思えば井の中の蛙状態の僕が、まぁなんとも血迷った感情を抱いてしまったのだ。

さらに地元の公立中学に進学していた兄にもこれで勝てるやん!と、負けたくない心にも火がついた。

その日の帰宅後、オカンに「俺、受験してみよっかな」ともう発言していた。やる!と決めたらやらないと気が済まないのは、小学校高学年で既に形成されていた。

こうして約2週間のボクの受験勉強が始まった。

見事なまでの惨敗、初めての挫折

2週間の勉強(完全に舐めている。笑)を経て、迎えた受験当日。
僕が受験したのはここ。

当時でもそこそこの難関校。なんせ、見事合格すれば大学までエスカレーター式で入学できるという、もう成功の階段を約束されたような学校だ。

勉強もそこまで好きではなかった僕は、エスカレーター式という魅力、そして2週間でも頑張れば合格できるかもという完全に自分調べで受験校を決めた。

小学校の同級生で浜学園というバリバリのお受験塾に通っていた友人と一緒に迎えた当日。どれくらい出来たか記憶にはない。

結果は、見事なまでの不合格だった。

もう人生を完全に舐めている。2週間の勉強如きで、将来の安泰を約束されたエスカレーターをGETできるわけがない。小学6年生にして「現実はそんなに甘くない。」ということを、受験を持って身に染みて痛感した。

これが僕の人生での初めての挫折だった。
※2週間で挫折を語るなという意見はご勘弁ください。笑

最後に

公文での成功体験の積み重ねが功を奏して順風満帆な6年間を過ごす予定だったけれど、その過信が生み出した小学校生活終盤での見事なまでの挫折。

結果としては、公立中学、そして公立高校へと進学し、最終的には国立大学にまで入学することが出来たのだから、結果オーライ。

小さな成功体験は自分への自信と繋がる
野球を続けたことによって、チームプレーの良さを知る
受験によって、人生が甘くないことと初めての挫折を経験する

この3つの学びは、今でも活きている。

そんな6年間を過ごした僕は、ライバルの兄が校舎にて待つ中学校へと進学することになる。

倒れたって、また立ち上がれば良い。
それは冒頭の組体操でも学んだし、何より受験したことは僕の財産だ。

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僕の原体験シリーズ、書いてます。


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