道徳とは共通の価値観である

昔、塾の先生をしていた。塾の先生といえども教え子の事は本気で考えていた。時には授業外のアドバイスも考え抜いてしたものだ。その名残か、今でも教育については、関心をもち、考え続けている。

今回は、最近考えている道徳について書く。

昨今、道徳の教科書で「かぼちゃのつる」の話を扱うことが物議を醸しているという。

なぜか?

尾木ママに言わせれば、「世界は多様な個を認める社会に舵を切っているのに、一つの価値観に集約していこうという方向性には、大きな違和感を覚えるわ。」ということらしい。

バカを言っちゃあいけない。
道徳ってのはな、その集団の中で共通の価値観じゃないと意味がないだろうが!!

人の嫌がる事をしてはいけない、ルールを守らなくちゃいけない等、共通の価値観を植え付ける授業なのだ。この話でいえば、自分が思うがままどんどんツルを伸ばした結果、公共の領域や他人の領域に勝手に入り込み、手痛いダメージを食らったということで、これを我が儘と捉えて設問を設けることに、尾木ママは疑問を呈している。

いや、これ、人間に置き換えたらただの我が儘だから。それ以外、何物でもないから。

公共の領域や、他人の領域に勝手に入って好き勝手していい訳ないだろう!疑問を挟む余地なんてねーよ!!

多分学校では、
「自分が好きにして良い範囲はどこか?」
「相手と話し合って許可をとろう!」
というような主旨の話になるのだろうか?

実に重要な事だよね。学校はぜひがんばって欲しい。

さらに、尾木ママはこうも言っている。

ルールを守る、郷土を愛する、お年寄りを大切にする、いじめはダメ――わかっているけど、実行できない自分。この溝を埋めていくのが、本来の道徳教育のはず。だからこそ、自分の気持ちにしっかり向き合い、先生や仲間と対話することこそ、道徳教育の大事なポイントなの。

もうね、呆れるしかない。
わかっているけど実行出来ない自分だって?
わかってねーよ!小学一年にわかると思うか?その年頃じゃあ自分が楽しいと思うこと優先でそれがいいことかなんて判断しないだろうが。
無邪気に最悪な事をする子供、昔から沢山いただろう?いじめだってあんなの楽しいからやってるにきまっている。
置き石なんかも子供の典型的な悪戯だ。
それに郷土を愛する心なんて、子供の頃からあるか?余程特殊なご家庭で育たないと、小学生が郷土を愛するとかないと思うぞ?

先ず教えんのはそこだよ、そこ。そういった共通の価値観だよ。

そこで初めて自分との溝は出てくる。イジメなら、他の人がイジメをしている。悪いこととはわかっているが、自分が標的になるのが怖くて加担してしまったとかさ。

勿論そうしたギャップをどう埋めて、行動を正していくのかというのも道徳教育のテーマだとは思うが、そんな事は次の段階なんだよ。最初の共通の価値観という段階がないのに、そんな事出来るわけないだろう。

個々の価値観は当然あるべきだが、集団の中で生活する以上は、根底となる共通の価値観がなければいけない。

こういう、共通の価値観を否定する奴は子供のことなんて全く考えていないと俺は思うね。

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