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日曜日の駄弁7週目

一週間に一回、その場の思いつきでどうでもいいようなことを書くということくらい、続けられるかなと思っていたんですけど、案外続きませんでした。

最近はわりと、書いたり読んだりすることに関しては、その時々の「気分にまかせる」ということにしてます。

若い頃はこれでけっこう真面目だったので、気分がのってようがのってなかろうが、「勉強せねば」みたいな気持ちで、毎日コツコツ本を読む、みたいなことをしていたんでした。

そういう習慣を持っていたことが悪かったとは思わないんですけど、もうそろそろいつ死ぬか分からないので、「未来に向けて頑張る」みたいなことは、「もういいかな?」ということで……。

これからは、読みたい気分の時に読みたいものを読んで、書きたい気分の時に書きたいものを、好き勝手に書いてやろうと思います!

それで最近読みたい気分になって『ミラノ通り』読みました。ミシェル・ビュトールの小説第一作目。

読むのに、すごい時間かかった。たいして長い小説じゃないんだけど。

読みながら取っていたメモは、3万字を越えてた。

読んでいる時間より書いている時間の方が長かったのかも。

まあ、そんなことはないんだけど。

で、この小説を読んだあと、書きたい気分になったのでした。

それで書いたのが、前の記事の「小説の技法がキッチュに堕するとき」なんですけど、あそこで書いたようなことを「書きたい」と思ったのではなかったのでした。

『ミラノ通り』を読んだばかりだったから、それに引っ張られてああいう内容になってしまった、というだけでした。

その記事をツイートした時に「プルーストはなにを引いたのかという話がしたくて書き出したんだけど、そこまでいたりませんでした。」と書きました。

つまり、本当はプルーストの話がしたかったんでした。

僕はプルーストのことを最初から好きだったわけではなかったんです。

小説の革命者として、カフカとかジョイスのすごさっていうのは、わりとすぐに了解できた(気がした)んですけど、プルーストって、ずっとよく分からなかったんです。

プルーストが分からないって癪だなぁと、わりとずっと思い続けていて、『失われた時を求めて』も読めば、プルーストについて書かれたものもちらほら読み続けていたんでした。

そうしていたら、あるときふっと、「あ、わかった」「プルースト、わかった」という時が来たんでした。

わかった瞬間に、プルーストがものすごく自分にとって大事な存在になったんでした。

なぜかというと、「プルーストが悩んでいた問題は、僕が悩み続けている問題とほとんど同じじゃないか!」と思ったからでした。

こういう直感は、正しいかどうかは、分からないんですよね。

関係妄想の類いかもしれないんですよね。

でも僕は、「プルーストが分かった」と思った瞬間に、「文学が何か」ということまで、「あー、やっと分かった」ってなったんでした。

プルーストが分かる前は、文学が何かもよく分からなくてもやもやしてたんですけど、プルーストが分かってからこっち、霧が晴れたみたいになっていて、この感触を、かつての自分(よく分かってなかった自分)に伝わるように語ったり書いたりできないかなぁ、と思っているのが、今日この頃です。

誰か話聞いてくれないかなぁ!


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