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小説の技法がキッチュに堕するとき――引くことと足すことと:もっと他愛ないハナシ(その35)

ビュトールの『ミラノ通り』を読み始めてしばらくして思ったことは、今のエンタメ小説をいろいろ読んでいる人にとっては、ビュトールのこの書き方も、けっこうすぐ理解できるだろうな、ということでした。

逆に言うと、今から見ると、べつに新しい書き方という感じでもないというか。
まあ半世紀以上前に書かれている小説なんだから、当たり前ですけど。

ビュトールが発明したというわけではないと思うけれど、ビュトールが使ってみせた小説技法で一番有名なのは二人称小説だと思います。

小説ってたいてい、「ぼくは」「わたしは」みたいな一人称か、「山田は」「彼は」みたいな三人称で書かれるものですけど、ビュトールは「きみは」の二人称で長編小説一本書いたんでした。
岩波文庫に入っている『心変わり』という小説で。

「きみは真鍮の溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。」

これが冒頭なんですけど、こういう感じでずっと続きます。

ビュトールははっきり小説という枠組みに入れられるものは、生涯に四作しか書いていなくて、『ミラノ通り』は一作目。1954年。『心変わり』は三作目で、1957年。

「二人称で小説を書いてみよう」と思い立つような人なので、小説の「語りの技法」ということにこだわりがあった人で、はじめての小説である『ミラノ通り』でも変な語り方をやってます。

語りの視点が縦横無尽に移動する、ということをやってます。

この文ではAさんの視点、次の文ではBさんの視点、その次の文でまたAさんの視点になって、次はCさんの視点、それから小説の語り手の視点も入ったりしつつ、またAさんの視点。

というように、めまぐるしいです。

ただ、こういう、語りの視点が移動するというのは、いまではべつに珍しくないので、いまさらそんなこと(そういう語りの技法)をビュトールに教わらなくてもいいよ、というようなものじゃないですか。

今日の小説では、一つの出来事を複数の人物の視点で描くというようなやり方は、ありふれてさえいるわけで。

ところが、『ミラノ通り』の視点移動はもっと徹底していて、一つの文のあいだで複数の視点を行き来したり、一つの文の中で使われている同じ人称代名詞が示している人が別の人であったり、というようなことまでします。

こんなことをするとどうなるかというと、なかなかに読みにくい小説ができあがります。

読んでいる間ずっと、「誰が誰を見ていて誰について何を思っている場面なんだろう?」というようなことを、いちいち慎重に読んで確認しないと、すぐに迷子になってしまいます。

だから、ビュトールもさすがに反省して(?)、この技法はこの小説一回きりしかやらなかったし、その後の小説家たちも、語りの視点を移動させるにあたっては、「移動しましたよ」ということを分かるように書く、という工夫をするようになったろうと思います。

語り手の視点が移動することとか、二人称小説を書いてみることとか、こうした小説のテクニックみたいなものは、小説の歴史のなかで、どんどんつけ加えられてきたわけですよね。
それぞれのテクニックの初出が誰の何の作品なのかはなかなか確認できないにしても。

つけ加えられた小説のテクニックというのは、見て取れるわけで、理解しやすくって、つまり真似されやすいというか、継承されやすいだろうと思うんです。

ところが、ある小説家がその時に「何をしなかったか」ということは、けっこう忘れられがちというか、そもそもあまり注目されないような気がするんです。

それでぼくが思っているのは、「何がなされたかよりも、何がなされなかったかの方が、はるかに重要なことかもしれない」ということなんです。

『ミラノ通り』について言えば、めまぐるしい語りの視点の移動という方法を取ることによって「なにを避けようとしたのか」ということが、大事なんじゃないのかなぁ、という気がするんです。

つまりビュトールは、世の中に普通に存在している小説がたいてい依拠しているある種の方法に対して多分不満があって、そういう書き方ではない方法として、例えばめまぐるしく語りの視点を移動させるというような方法をやってみたのであって、この場合大事なのは、この時に導入された新しいテクニックの方ではなくて、ビュトールは何に不満を持っていたのか、ということの方じゃないかと思うんです。

別の言い方をすると、個々の小説のテクニックというのは、それがどのようなものであるかということよりも、そのテクニックは「なぜ」必要とされたのか、ということの方が重要なんじゃないかなということです。

テクニックっていうのは、「なぜ」ということが忘れられて利用されるときに、キッチュに堕するんだと思います。

ビュトールの不満について知るためには、本当は小説だけ読んでピンときたらいいんですけど、ビュトールの批評を読むのが近道なのかなぁ。

というわけで、

ビュトールの小説を読む人は、ビュトールの批評集である『レペルトワール』も読むのがいいんだろうと思います。

宣伝しておしまい。

https://www.genki-shobou.co.jp/books/978-4-86488-212-5


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