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モーパッサンの「小説について」についてⅠ:もっと他愛ないハナシ(その13)

(その3)で、「文学とは何か」は一義的に定義できない、というようなハナシをしてました。

文学とは何か一義的に定義できない、というのは、定義するのが難しくて僕の手に余る、ということを言っているのではないのでした。

できるかもしれないけれど僕には無理だ、ということを言ったのではなくて、原理的に無理だということを発見した(と思う)、という話なのでした。


モーパッサンは「ピエールとジャン」という小説を書いたときに、その序文として「小説について」という文章を書きました。

モーパッサンは小説を出すたびに、批評家にあれこれ言われて、そのたびごとに「こんなの小説じゃない」なんて書かれていたそうです。それでモーパッサンは反論します。

マノン・レスコー、ポールとヴィルジニー、ドン・キホーテ、ウェルテル、エミール、カンディード、ルネ、ゴリオ爺さん、従妹ベット、コロンバ、赤と黒、ノートル・ダム・ド・パリ、サランボー、ボヴァリー夫人、居酒屋等々を並べた後で、なおも「これは小説ではない。これも違う」というようなことを書くことができる批評家は、さぞかし達識に恵まれてるんでしょうね、と。

ものすごい達識に恵まれてるけど、その達識って、鑑賞力が絶無だっていうことと区別がつかないよ、と。つまり皮肉ですね。

こういう批評家は、小説を多少ともにもっともらしく見える事件というふうに考えているんでしょ。芝居のように三幕くらいに分かれていて、その第一幕に発端の説明があって、第二幕が事件の動き、第三幕が大詰め、という寸法で。

エンタメ小説やハリウッド映画の指南書では、今日でもこういう構成で書いたらいいよって言ってる気がするんですけど、モーパッサンの頃(「ピエールとジャン」は1888年頃)から同じですね。

モーパッサンがうんざりしていた批評家っていうのは、小説ってこういうもんだと思っていて、モーパッサンの小説がそうなってないから「これは小説じゃない」なんて言ったんですね。

モーパッサンは小説ってそういうもんじゃない、って言います。

小説に規則なんてないんだって言います。この規則に反したら小説じゃなくなる、なんていう規則はなにもないって。

すべての作家は、敢然として勝手な小説を作る権利を、自分一個の芸術観に従って、想像し、観察する絶対権を、議論の余地のない権利を要求するんだって、モーパッサンは言います。

さらに、モーパッサンは、「なぜ」、作家は敢然として勝手な小説を作る権利を有するのかということについても、けっこうしっかり説明してくれます。

それはまた明日。

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