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「文学とは何か」とは何か:もっと他愛ないハナシ(その3)

世の中には「文学とは何か」というような本が存在するので、ときどき読んでました。

「文学って何なんですか?」と、僕自身思っていたから。

以前は、「文学とは何か」って、ぜんぜん分からなかったんだけど、今はもうだいたい分かったので、まあもうそんなに「文学とは何か」って本を読むこともないかなと思ったりします。いや、まだまだ読みそうですけど。

文学とは何かが分かったっていうと、なんかとんでもないことを言っているみたいだけど、ぜんぜんそんな話ではなくて、分かったと言っているのは、一文で言い表せる次のことです。

文学が何であるかは一義的に定義できるものではない。

ということです。これだけです。

これだけのことが、僕はわりと長い間分からなかったんです。
僕はかなり頭が悪いので、普通の人がぱっと理解していることを、理詰めで考えて考えて考えて考えた後でやっと、「あ、そういうこと?」ってなるようなことが、けっこうあるんです。
「文学とは何か」問題も、典型的なソレでした。

文学が何であるかは一義的に定義できるものではない。

くらいのことは、たいていの人はわりとすぐ分かっていて、だから僕みたいには「文学とは何か」っていうような類いの本を、一所懸命読んだりしないんだと思うんです。

「文学とは何か」にすごく似た問題だと思うものの一つが、「幸福とは何か」ってやつじゃないかなって思います。
「幸福とは何か」だったら、「そんなの人それぞれだよ」って、すぐ言っただろうと思うんですよね。そんなの一義的に定義できないよ、って。
それがこと文学のことになると、「みんなが了解するような文学の定義って何だろう?」って、コンコンと考え続けちゃったんですよね。
バカですね。

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