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心臓内の小さな空間に神様が鎮座する

まずはじめに

今回は、私が早朝に行われたヨーガの質疑応答の時間で、初めて先生に質問させていただいた「真我(アートマン)はどこにあるのか?」と同じ意味となる内容となっています。

ヴェーダーンタ哲学において、アートマン(真我)と絶対者ブラーフマン(神様)は同一であるとする梵我一如の思想となっているからです。

真我はどこにあるのか?

■心臓内の小さな空間

〈表題 小さな(ダハラ)空間〉
14節
後述する理由ゆえに、心臓内の小さな空間が絶対者ブラーフマンである。

『ブラフマ・スートラ』第一篇第三章

1節
さて、ここにおいて絶対者ブラーフマンの都城の中には、小さな蓮華であるひとつの空間がある。その内部にあるものを、私たちは探求すべきであり、認識することを欲するべきである。
3節
この心臓内部の空間の広さは、外界の広さに等しい。この空間の内部には、天地と地の二つ、火と風の二つ、雷光と星の二つ、それに属するものと属しないものの二つ、すなわち一切が宿されているのである。

『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』第八篇第一章

マガジンにてまとめた「保守本流のヨーガ」にて記述している、聖音AUM(オーム)として捉える場所はどこなのか?についての表題となっていて、ここから『ブラフマ・スートラ』は、絶対者ブラーフマンに関してそれぞれのウパニシャッドを引用して、シャンカラ師は解説しています。

ここで、「心臓内の小さな空間が絶対者ブラーフマンである」として述べられておりますが、物理的にそのような空間があるのか?と思われるでしょうが…

そうではありません。と言いますのは、通常、知覚は外側の世界に対して意思(マナス)という内的心理器官が働いているのですが、夜に寝て見る夢の中では、内側の心の中に意思が結びついて働くことで映像や音として知覚できるように、瞑想の中で意識して眉間の奥にあるブラフマランドラを知覚する技術がヨーガにはあります。

ここで、詳しく述べることはしませんが、肉体五蔵説における自らの肉体(食物鞘)を知覚できるように、より微細な生気鞘・意思鞘・理智鞘・歓喜鞘も知覚することができます。五重塔の最上階にあたるような歓喜鞘の中の一番奥にある心臓内の空間が最終目的地であり、そこをいわゆる霊視することができるということになります。

1節
ブラフマンは実にこの一切(宇宙を意味する)である。
3節
それが心臓内にあるわがアートマンである。それは米粒よりも、あるいは麦粒よりも、あるいは芥子粒よりも、あるいは黍粒よりも、微細である。しかし、また心臓内にあるわがアートマンは、大地よりも大であり、虚空よりも大であり、天よりも大であり、これらの諸世界よりも大である。

『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』第三篇第十四章岩本裕訳

上記に岩本裕さんの訳を引用しています。読むほどに混乱する内容ですが、先生によれば、金平糖みたいな色が付いているそうです。エネルギーとして考えると、より微細なレベルを瞑想の中で通過することで意識化することができるということのようです。

実際には、一番小さな存在を見出すような形にはなっておりますけども、しかし、それが実際には一番大きなものにつながっていくというような大どんでん返しがあるということのようで、その小さな空間が右心房なのか?左心房なのか?ということは問題ではないようです。喩えとして、そのような通常ではごくごく見えづらいものがそこにあり、意識化するには多大なる訓練が必須であるという表現として受け取ってください。

■意識化を広げる簡単な訓練法

意識化を拡大するためのヨーガ・セラピーで用いられるごく簡単な訓練法を以下にお伝え致します。

まずはじめに点の意識化から始めます。これには、ウジャイ呼吸を用います。吸息と吐息のときに喉の奥で摩擦音をたてる呼吸法なのですが、喉を少し意識的にすぼめながら呼吸することで、喉を通る時の息が喉の内部を摩擦して「スー」という摩擦音を生じるようにします。この摩擦音を点として意識します。

次は線の意識化となります。シータリー呼吸法で、口から舌先を出して舌を筒状に丸めて息を吸う時の空気が舌先に触れる線を意識します。

面の意識化は、シートカリー呼吸法で、口を真横に「ニッ」と開き上下の歯は軽く合わせます。そして、歯のスキマから息を吸うことで巻いた舌を通した口の中の面の気づきに注目します。吐く時は口を閉じ鼻から息を優しく吐きだします。

空間の意識化は、ブラーマリー呼吸法で、親指で耳を軽くふさぎ目を閉じて残りの指先で目元もふさぎます。鼻からゆっくりと息を吸って吐きながら喉から蜂が飛んでいるような音の「ブーーーーン」を出すことで全身にその音が響く空間の気づきに注目します。

このようにして、点の意識、線の意識、面の意識、空間の意識という順番で意識の拡大の練習にもなりますし、また、ヨーガの瞑想の技術として必須な集中力のごく初歩的な練習にもなります。

■心臓内部にある真我の御座所

最後に、先生の師匠であられるヨーゲシヴァラナンダ大師の今回のはじめの画像(心臓内部にある真我の御座所)の下にある解説を以下に紹介して終えるにしましょう。

私たちの心臓内には小さな親指ほどの空間がありますが、この空間の中には真我が納まっています。真我は、たとえるとすれば、極めて小さなケシの種子程の大きさをしていますが、ここでは図示するために、仮の空間上部から、極めて明るい光が放射されています。これらの光は、奥義書(ウパニシャッド)でも五方向と呼ばれているような光です。この光を通じて、生気が流出しているのです。

『魂の科学』スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ

実にこの心臓には、神に守られた五つの門がある。かの生気は、その東方の門なり。

『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』第三篇第十三章第一節

最後に

今回にお伝えしたかったことは、外側の世界に神様を捜したとしても見つけることはできない、ということになります。しかし、心の内に神様を見出すことができて、その想念を純粋に外側にその光を延長することができた時には、創造された奇跡を見出すことができると言われています。

瞑想における最終目的地を今回にその途中の道のりをすっ飛ばしての内容とはなりましたが、この道のりに関しては、伝統的には師と弟子の関係において秘密裏に口伝されているものでもありますので、ご容赦ください。

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