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ドゥルーズ・フーコー・ラカン・デリダ etc

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ドゥルーズ・フーコー・ラカン・デリダ関連記事を集めています。
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原草稿『形而上学 この私が今ここにあること』第5章Ⅰ ドゥルーズ『感覚の論理学』か…

※以上は、拙稿『形而上学 この私が今ここにあること』原草稿の第5章「カント『純粋理性批判…

ドゥルーズのカオス理解

ドゥルーズとメルロ=ポンティ

ドゥルーズ『感覚の論理学』

ジャック・デリダ『声と現象』から

ジャック・デリダ『声と現象』から② 「差延」の起源

Tweet Archives 経験的自然学(のようなもの)としてのドゥルーズ理論

性自認 クリプキ ジュディス・バトラー

ドゥルーズのライプニッツ批判の自己矛盾

フーコー 統治 自己統治=陶冶

「ベルクソンとは」という問いに対するChatGPTの回答

Archives オートポイエーシスとしての「顔=文字」機能――<顔>の認知機能の哲学的…

2004.12作成 ※以下は、かつて筆者が社会人として在籍した社会福祉学大学院博士課程前期の課題…

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Archives <生体工学的介入>の分析論――哲学的探究としての「メタ生命倫理学」構築…

Abstract The Analytics of <Bio-technological intervention>――trying to construct< M…

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「ネグリ=ハート、ラカン、カントの狭間で――グローバル資本主義下における<協働>の構成」 心の諸問題考究会『心の諸問題論叢』 (ISSN:13496905) vol.3, no.1, pp.1-16, 2007

はじめに  本論は、グローバル資本主義下における<協働>の構成をテーマとする。我々は、この<協働>とは何かを、ここで定義することはしない。(注1) それに替えて、我々は、この<協働>の実践モデルとして、この私が他者との間で、「私の生活の工夫/技」を伝え合うことを提起する。これは、<線を引くこと>としての呼びかけと応答のモデルでもある。(注2) この<協働>の構成は、グローバル資本主義下における我々の生存にとって切迫した課題である。  我々は、これを相互的で対等なコミュニ