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大関朝乃山について(2021年6月5日現在)

本日は5月36日、大相撲夏場所の28日目である。あの報せとともに大関朝乃山が忽然と土俵から姿を消してから、はや2週間以上が経つ。

その理由となった行動、事象、伝えられていること、その是非、分量、その他について、ここで書こうとしているわけではない。贔屓そのものとしてというのと、贔屓としているひとにとても近いところにいる兄弟子であるというのと、そもそも部屋そのものを贔屓にしているのとが、自分の中でごっちゃになっている。常に混乱と混沌の中にいたこの2週間余であり、それはまだまだ続いている。

朝乃山には何らかの処分がおりる見込みである。詳細はもう少々時間が経ってから発表されるが、コンプライアンス委員会が開催されたという第一報では、その内容は解雇や引退勧告ではなく、複数場所の出場停止ということになる見込みである。ひとつだけ安堵した(していいんだよねと)。

複数がいくつで、その結果何がどうなるかということは、個人的にはあまり重要ではなくて、むしろ、相撲が続けられて、何らかの立て直しを経て出直せるかどうか、ということがずっと気にかかっていた。

朝乃山は大関になってずっと(休場の場所以外は)10勝以上を続けてきているひとだ。わたしが、何らかのきっかけで気にかけて見るようになったときは既に大関だったから、そこからを見ていることにはなるのだが、だんだんだんだん、立つところが難しくなっている、という懸念を感じて見ていた。きっかけが新大関での7月場所終盤(ちょうど見られなかった初めての照ノ富士戦と、その後の照強による足取り)あたりにあったのかもしれず、以降は延々と「コロナで出稽古ができない、部屋には幕下以下しかいない」と云われ続けていた。わたしはセンモンカジャナイノデヨクワカラナイガ、センモンカだってメディアだって、じゃあどうすればいいのだろうということに、あんまりちゃんと触れてこなかった。協会が合同稽古という場を設けたが、そこに出てくる出てこないでひとことあったり、出てくれば出てきたでひとことあって、番数を重ねたら重ねたでひとことあって、じゃあ何よといいながら毎場所見て過ごしていた感がたまらなくあった。

そして、どこか、伝えられる表情に影のほうがおおきく見えたのも気になっていた。年が明けたときに地元の広報誌に出たとびっきりの笑顔というのがあって、それが自分があまり(過去のしゃしんとかではなく)見たことのない表情であったことへの違和感も、どこかにあった。↓こんな顔だった

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それでいて、なぜか協会による執拗な(?)付け人推しが続いていたり、とかいろいろあったわけだが、んまあ、その。

結局あれから照ノ富士に勝てずにいた。前半戦負けずにいって照ノ富士に当たるような状況であればもしやと思っても、なかなかそうはならず、前半戦でもちょぃちょぃ負ける、というのが続いていた。3月、わたしは7-8日目に行ったのだが、まさかそこを連敗とは思いもよらなかった(結局生で見るのは、それっきり、しばしお預けということにもなりそうである。冒頭のしゃしんはその8日目結びで、その前に、ともに東から出た大関が安泰だったので、付け人朝鬼神が片肌脱いで水をつけていた)。

じゃあどうして、と、じゃあどうすれば、が場所中には交錯して、場所の間には稽古のニュースが入ったりして、そこでの様子やコメントを記事で見ながらいろいろなことを考えて、でもシロウトカンガエなのでそれが良い兆候なのかとかはあまりよくわからなくて。

5月の場所前のシロウトカンガエの手応えは悪くはなかったから、場所が始まるとかなりびっくりした。負けた相撲は相手が成長したと思うことにしたが、それにしても大関は登竜門を作り過ぎではないかと思って見ていた。そして、初めて「会心の相撲じゃないか」と思えたのが、確か10日目の御嶽海戦で、翌日があの日だった。

何をどう消化したらよいのか、今の時点でわたしにもよくわかっていないのだが、恐らく、様々な意味で、このひとには、立て直さなければならない点、組み立てていかなければならない点、いろいろあるのだろうと。向き合うこと、稽古すること、工夫すること、部屋の底上げをすること、どこかしらで、本場所の土俵にその存在がなくても、確かな息遣いが感じられて、次に見られるときに、ひとしきり何かが大きくなっているような、そんな時間を送れるようにと、今は願うばかりである。たとえば各段優勝のインタビューに部屋の力士が立って「大関に稽古をつけていただいて」などと言って、なんてなったら、わしどう考えても号泣するべな。

今は静かに待つ。

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