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令和三年初場所零日目

相撲が始まりますいろいろとありますが楽しみにしております

というスタンスを貫いて日々過ごした結果明日が初日となったのだが、そんなに楽しみにしているのも変な話なのだろうかと考えてしまうのである。

名前を出すのもはばかられるあのハヤリヤマイの絡みで、この場所をどのようにおこない、あるいはおこなわない判断をするのかしないのか。揺れがいっぱいある。普段別の試合を観戦している向きで、やっぱり同じ理由で動きはあるのだが、そこで見ている以上に「中止」論の広がりがつよいということに、ちょっと考えてしまう。なんとか方法を見つけて対策を取って開催しようとしている動きは、どうもこの界隈では強引に見えるのかなあと。どちらにしても「その場でたたかうひとのことを思って」ということばは、自分の発することばとしてあまり正直じゃないような気がしているので、わたしはこのままでいるつもりだ。

ようやく映画「相撲道」が、昨日から、わたしの住む街の映画館での上映が始まり、昨日は仕事、明日からは場所に入るので、きょうの昼間に見に行った。直前にスカスカの取組表を見たところだった。先月の合同稽古が終わって、クリスマスイブに番付が発表されて、その後年末年始を含めて協会の方々の外出は制限されたというが、それでもいろいろな経緯でとどまるところを知らない動きがあり、直前に全員の検査が為されて決まったことであるという。検査をするというニュースを聞き、ゼロはないだろうとなんとなく思った。実際1桁というのは多くはないのだと思う。ただ、多くはないにせよ、影響する範囲は大きいわけで。

「相撲道」は、10月から全国各所の映画館でぽつぽつと上映されている。今までネタバレ無しでとどめておいていただいた方々に感謝の意を表し、それを継承して多くは書かないということにしても、ひとつ、この映画がはじまったところで思ったことだけは書いておきたい。そんなに昔の話でもないのに、今スクリーンの前に映っているのは夢なのかと。そして、今なんでこんなことになってしまっているのだと。そして、明日から楽しみにしているものは何であるかと。はじまった瞬間に、一気にほとばしった。このタイミングで(どうにも場所中に終わるらしく、見るタイミングとしてはここしかなかったのだが)見るというのが、こんなに染み入るとは。

その場にいる方々の、どこにどんな覚悟があるのか計り知れない。そういうもんなのかなあと思ったこともいっぱいあった。いつになるのかわからないが、間近で感じることができるときが来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。それじゃあ9月や11月に行こうとしては取りやめる必要も無かったんじゃないかと思うような、かつてない始まり方を見せそうな今場所なれど、じっくりとそれを見つめていきたいと、改めて思い至った。

永谷園見開き2面広告が載った読売新聞は無事に入手したが、昼間にあった番組は軒並み録画しそこねた。ミリペンで主線を描いて水彩鉛筆で入れた影を伸ばす、最近そうやって描き進めるのがたのしくなっている。描いてから撮ったときに、偶然太陽光がきれいに入った。

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明日は初日だ。そんな零日目。

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