質量への憧憬〜僕は僕がゆえに

日程的に今回は行かれないであろうと思われた個展。突如、ギャラリーツアーの開催が決まり、たまたま朝であればどうにかなる日曜日。
早起きをして出かけた。

メディアアーティスト落合陽一ご本人によるギャラリーツアーだけでも贅沢なのに、写真家奥山由之さんとの対談もあり、さらに自分一人での鑑賞という三部立て。とびきり贅沢な時間を過ごすこととなる。

開催後、多くのかたの撮る写真展と感想を目にした。撮り手によっては、さらにその方の作品のように個性が表れていた。落合さんの写真をフレームで飾ったような感じとでも言えばよいのだろうか、落合さんの写真は黒っぽいのに赤みを帯びたように見えたりして、質量への憧憬の憧憬に思えた。それで強烈にカメラが欲しくなっていたところだった。それなのに私が撮った写真ときたら、枠に見たものを収めただけの美しさの全く感じられない平面なものだった。質量が私には表現できない。

ソルトなイルカと私は呼んでいる。大好きなソルトプリントによるイルカ。これは版画のような温かみを感じる。潮のかおり、音までが伝わるような現実感もある。これを私が撮ると、ただ撮っただけのフラットなものに成り代わる。
それが、「僕は僕がゆえに」イルカを撮ったかそうでないかの違いなのだろうか。

私が落合さんの写真に惹かれる理由のひとつに黒さがあった。やわらかい黒いものを撮っているのだそうだ。

世界中、どこで撮っても同じようになるという真ん中に道のある町の様子。これなんか町にいると、あー落合陽一ワールドだとこの構図が浮かんでくる。きっと私もライカを使えばあんな風に撮れるんじゃないかなんて思うのだけど、私にはフォトンがさっぱりわからない。
「僕は僕がゆえに」だから黒い写真が撮れるのだろう。

私は学校の写真も大好きだ。

これには、懐かしさとときめきを感じる。
また、空港関係もお気に入り。

これでは、見事なぐらいなんだかわからないけれど窓についた雨が機内と外という隔たりを表していて、機体は写っていないのだけど飛行機特有の高揚感に包まれる感じだった。飛行機は世界を広げてくれる。私には非日常空間。雨側にいる時に見る姿も美しくて好きだ。

少し前に書いた記事。

https://note.mu/milab/n/n3ac5b2f0f57e


自然界は数学に支配されている。さまざまな事象は数式で表される。落合さんのは自然界のものを撮る際にアルゴリズムや数式を感じるという。それは科学者だからこその…「僕は僕がゆえに」として無意識に感じる自然界の美なのだろうと思う。私には、それはストンとはまる。

ランダムにスタッフの方が飾ったというコーナー。

(一部しか撮っていない残念ながら)秋葉原や京都などが多く含まれている。全体の中では明るい一角。落合さんが並べたらランダムにはならなかっただろうとのこと。無意識に規則性を見出してしまうのだろうと私は受け取った。
サバが逆さまに飾らせているという。

それも面白いとのことだった。

落合さんは宇宙船地球号に乗り写真を撮っているそうだ。そのひとつとして汁としての温泉も存在するらしい。温泉ではケイ素を感じるとのこと。さすがにその感覚は全くわからない。
まだまだ浅いな自分…と思った。

宇宙船地球号については大きく触れていなかったけれど、その言葉に見えないものを見るとしたら、多様化した世界を意識せずに耳が聞こえない方への音楽会とか移動が難しい方、またそれを介助する方への支援があるのかなぁと感じた。
写真の数が多くて、一点は見切れていない。手元に届いたら、じっくりと味わいたいと楽しみにしている。見えないものを見る楽しみ。

「僕は僕がゆえに」

それを自分に変換してみたいと思う。

解説なしにもカッコイイ作品。とりわけ、このコンクリート。言葉がなくても、ひたすらエモい。

とびきり上質な休日だった。




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