地方と都市の教育格差?

先日の #東大 駒場祭で #ミス東大 が決まった。それに関してこのようなツイートが拡散され物議を呼んでいる。


これを受けて少し思ったことを書いていこうと思う。
(ツイートに対する反論などのものではないので、論点がずれているとかの指摘はしないでください……。)

本題は、「 #教育格差 」「 #進学機会の平等 」とは何かという話。
(タイトルからして教育格差についてのnoteみたいになっていますが、今回話したいのは少し別のことなのでご了承ください。)

本当にみんなが「東大に行きたい」と思っているなら、みんなが東大に行けるだけの環境を用意されるべきである。これは間違いない。
しかし、本当に「東大に行きたい」と思っているのだろうか?


数年前ならわからないが、今や教育系YouTuberといったジャンルも確立されているくらいで、勉強コンテンツはお金を払わなくても(正確にはネット環境のために課金する必要はあるが)享受することができる。

また、都会に住んでいなくて鉄緑会がなくても、受験参考書は非常にバリエーションが広い。周囲に大きい書店がなくてもAmazonでポチれば翌日には配達される。自分が北関東の田舎出身・現役で東大に合格した経験から言うと、正直まともな読解力がある受験生であれば参考書をしっかりと修得すれば十分東大合格レベルの力は身につけることができるであろう。

一旦、少し話がずれるがこれに関連して、『テラフォーマーズ』でのジョセフのセリフが僕の考えを的確に表しているので引用してみる。

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ああ いつも見る その顔だ
何を考えているか解るぜ 『人間じゃない…!』だろ?

冗談を言うな 私こそが『人間』

人の持てる才能を碌に持たず
訓練により 人間に習得可能な技能も修復可能な欠点もあると言うのに 努力もせず
挙句 そんな奴らが他の生物の特性に頼るなど

おれに言わせれば お前らの方が人間じゃない
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ざっくり言うと、火星で進化したゴキブリと、特殊な手術によって昆虫や動物の身体能力を身につけた人類が戦う話である。(なので、別に努力していない人が人間じゃないというつもりはない。

ジョセフは、昆虫などの身体能力を使うまでもなく、「ヒト」として人類最高の身体能力を有している。その超人的な実力を目にし、絶望的な表情を見せる敵キャラを前にしてジョセフが放ったセリフである。

実際に東大を受験した自分の経験、そして高校の先生の言葉、東大の同期の話を聞く限りではやはり「東大は訓練( ≠ 勉強)したら合格できるレベル」にあると言える。

もし、本気で東大に合格したいと思っているなら例えどんなに不利な環境であってもまずは自分で情報収拾をし、訓練をすべきなのだ。しかし、現実にはそのような訓練をしていると言う人はごく少ない。これは僕から言わせれば「東大に行きたいと思っているわけではない」ということなのだ。


なので、まず根本的な問題としては「そもそも東大に行きたいと思っていない」ことが挙げられる。もちろん、大学の「性質」などもあるので全員が東大に来るべきだとは思っていない。ここに入る大学名は別に京大でもいいし、群馬大学でもいい。
親・友人、その他の外部環境によって主体的な進路選択が妨げられ、本来持っているポテンシャルを100%発揮できないまま大学進学を決定してしまうことにこそに問題がある

逆に言えば、東大に来るべきではなかったという人もいるだろう。
ミス東大の上田さんは、東大に来て1年生にしてミスコンを優勝するなど、すでに輝かしい功績を残している。しかし、東大にはお馴染みの「進学選択」という制度があることなどから、大学やひいては勉強・学問そのものを嫌いになってしまうという学生も散見される(ように思う)。Twitterでは、東大で仮面浪人して京大に入学し直したという人も見かけた。
そう考えると、むしろ本当は専門学校に行ったり、高校卒業後はすぐに就職した方が当人にとって「幸せ」な人生が送れていたかもしれないのに、「東京に住んでいるから」「親に鉄緑会に通わせられたから」という理由で東大に進学してしまうこともまた進学機会の不平等と言えるのではないか。

(僕も高校時代にもっと別の出会いがあったら美大とか専門学校に進学するのもアリだったな、と今でも思う。)

大学進学をはじめとする進路選択に限っては、大学の偏差値という指標こそあれど何が正解かというのは個人によって全く異なる。それなのに、東大に進学することが至上命題であるかのように振る舞ってしまうことに違和感を感じる。


話は少し戻るが、そうは言っても、確かに同じ東大志望であれば地方に住んでいる人より都内に住んでいる人の方が有利ではあると思うし、そこに確かに格差が存在すると思う。元ツイの「現代の教育格差の象徴」という表現も、実は的を得ているのではないかと思う。

これに対する反論として「上田さんだって努力してた」が散見されるが、地方生だって努力をしている。
努力量というものは一意に定量的に測れるものでもないが、同じ量の努力をした時により合格しやすいのは確かに都市部でより良い訓練を受けた生徒であることは間違いないはずだ。

これらの問題、つまり①そもそも東大を目指すのか目指さないのか②東大を目指している人の合格率はどうなのかという2つの問題は分離して考えるべきであって、それをごっちゃにしてしまっているからこれだけ意見の対立が起こっているように思える。

私は、各個人が自分が一番のポテンシャルを発揮するところに行くべきで(それが東大なら東大だし、地元なら地元であるべきだと思う)、そのための教育機会が均一に提供されている状況こそが教育格差がない状態だと思う。
東大は、日本一という国立大学という側面もあるが、そうはいっても「東京」という地方の国立大学という見方だってできる。
東京一人暮らしなどをするほど家計に余裕がないなどの理由で東大を選択肢に入れないという高校生は一定数いるはずで、そう言ったノイズを排除した時に今よりも東大の地方生の割合は増えるのではないだろうか。

だからと言って、生まれたというだけを理由にその地に染まることはその人の幸せを意味するのか?という論点はもちろんあるはずだ。


と、思ったことをなんとなく言葉にしてきてしまったが、この周りには、
 - ミスター東大(男性)はどうしてこう言った意見の的にならないのか?
 - 実際、理科3類は他の科類と比べて入学するのがどの程度難しいのか?
 などなどなどなど、リプツリーや元ツイに対する東大生の反応ツイートなどを見ていても問題はもっと複雑多様であると思う。

なので言ってしまえば、あくまで僕が普段から考えている問題提起を、今回バズったこのツイートに便乗して書いてきただけである。僕は専門家というわけではないし、ぜひ他の意見も色々聞いてみたいと思うので、思ったこと・反論などあればコメントをお願いします。


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