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イスラエルで過ごした10か月, キブツ篇その2

イスラエル初日

エルアル機でテルアビブ空港に着いたのは早朝。
アテネからは本当にあっという間。

うわさのイスラエル航空。
ハードボイルド系ジャーナリスト落合氏の著書でいくつかの、驚く事実を知っていたので機内その証拠探しに辺りを気にしつつ詮索。

まず航空機の機体。
特殊な形態で、(胴体部が三層になっている)内部で爆発が起こっても、手榴弾程度なら、飛行を妨げられることはない。

さらに機内には、乗客にまじりイスラエル防諜機関の、シンベドが常に何人かいるという。
武器携帯で常にテロに備えているのだ。
俊一郎とひそかにあたりをうかがい、あれがひょっとしたらシンベドかも、といった人物を探したりしている間に、自分達のエルアル機はイスラエル、ベングリオン空港に到着した。

空港での手続きは思ったよりも短く済んだ。
ビザその他の手続きを、日本で終えていたので、荷物を受け取り空港の外に出るまで、何の問題もなくスムーズにことは運んだ。
自分の木刀も無事だった。

空港の外に出て、自分たちを待っていたマイクロバスに乗り込む。
ここで、グループは二つに分かれた。
自分達と別の班はイスラエル北方にあるキブツへ行くのだ。
そっちに遊びに行くからね、と何人かが約束をかわしていた。

バスが走り出す。
強い中東の日差しの中を結構なスピードで
内陸側にある我らキブツ マアニットへ。

日本の高速道路に似ている道を走っているが、周りの光景が全く違う。
日差しがよほど強いのだろうか、逃げ水がそこらじゅうに見える。
見たことのない、小さなタンポポ状の花がついた背丈の低い木が、道路わきに切れ切れに見える。
ここは、今まで自分が見てきたどんな場所とも違う。その花のついた木の名前がミモザと知ったのは、この異国に来てしばらくしてからだった。

ユーカリの林に囲まれたキブツ

ハイウェイを数時間ほど走ってのちに、一般道に降りた。
ちょっとした大きさの市街を抜けていく。
キブツマアニットから一番近い街で、ハデラというところだった。
その街並みが切れてからまた風景が少し変わった。

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右側は荒れた畑のように見える。
左側に灰を被ったような緑の、背丈は高いが幹はそれほど太くない木々が見え始めた。
初めて見たユーカリの林だった。


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ハデラの街から、20分ほど走ったと思う。Givat Havivaの標識の、すぐ先の右手にゲートが見えた。
その隣にはケミカルプラントのようなものが見える。
ゲートはキブツの入り口だったのだ。
さらに10分ほど走ってパーキングらしき所で止まった。
駐車場にはバス停のようなものが一緒にある。
やっと目的地に着いたようだ。
午後2時すぎだった。
マイクロバスを降りる。
外に出てると、待っていたのは暴力的とも言える太陽の光の歓迎。
日本の猛暑なんてものではなかった。
中東の乾いた空気と強烈な日光。
ここでは全てが初めての経験だ。
まずはキブツマアニットの共同ダイニングルームへ向かうことになった。


キブツマアニット


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パーキングから歩いてすぐのところにダイニングがあった。
正面入り口の左には、かなりの大きさの塔が立っている。
後で知ったのだけれど、これは給水塔だった。

ダイニングの中に入るとありがたいことに、空調が効いていた。
かなり広く、200人ほどは余裕では入りそうだ。
食事の時間外らしくダイニングはひっそりとしている。
一人の人物が待っていた。
巻き毛のショートヘアの白人女性。
40代ぐらいに見える。
自分の名前はオフラだと彼女がいった。
ボランティアではなく、いわゆるキブツニーク。
キブツ共同体の正式メンバーなのだ。
彼女が全てのボランティアの管理をしているらしい。
自分たちボランティアの管理係といったところか。


簡単に各自、自己紹介を終えた。
日本人ボランティアリーダーの真理子さんが通訳してくれたところ、
今からオフラが、キブツの主な場所を案内してくれることになっている。
自分達の住居区もその時にわかるようだ。

日常会話レベルの英語で話すことができるのは、自分達10人中4人程だったので、いろいろなことを誰かに訳してもらわないとわからない。
早くも、英語ができない事にはがゆさを感じ始めていた。



古代人と、藪の中の小屋

ダイニングを後にして、芝生の緑の鮮やかな、小さな丘の横の小道を、オフラの先導で歩く。

日差しが強く乾燥しているが、スプリンクラーからは心地よい霧が芝生のうえにふりそそいでいる。
それにしてもまったく誰も歩いていない。
実はここイスラエル、テルアビブなどの大都市を除いた地域では、
毎日午後2時から4時までスペイン式のシエスタを取るらしい。
昼寝の時間。

日差しがあまりにも強く、夕が近くなって、日の光の力が弱まってから
また仕事を再開するのが一般的だそうだ。
この凶暴な太陽の光の下にいると、納得がいった。

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芝生の丘の左に、白いブロックで作った建物が見えた。
図書館らしい。
週末にはここに人が集まり、くつろぐ、カフェの役割もはたしているそうだ。

小道をはさんで図書館の反対側にある、岩の下のくぼみに、
何故か鉄格子のようなものがその横穴をふさいでいる。
オフラが古代人の墓だと教えてくれた。
誰のものかはわかっていないが、大変古いことは確かだという。

マアニット設立当初にはそこからミイラが出てきて、
同じ場所に埋葬されていたその他の、古代の遺品と一緒に、
図書館内に展示してあるらしい。
2000年以上前のミイラ。
この地の気候のおかげでミイラの保存状態はいたって良好だったようだ。
横穴は確かにちょうど、ひとが横になって入ることができるくらいの大きさだった。

こんなものが、このキブツの周辺に普通に存在していた。
古代の人々が残していったものが、現代の日常の生活の中に混じりあっていた。
この埋葬後をその後、毎朝通り過ぎて働きに出たのだが、何度目にしても、
たとえようのない不思議な感覚は消えることがなかった。

驚いたことに僕らが住むことになる住居区はそのすぐ近くだった。
古代の埋葬跡から小道をわきに入った藪の中にその小屋があった。

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家ではなく小屋と呼ぶのがしっくりくるその建物。
真ん中に共同のトイレ、シャワーをはさみ両側に部屋があった。
1部屋に2人で住むことになるそうだ。

小屋の外側の板張りの白いペンキがかなりはがれていた。網戸の大きなやつがドアとは別についている。
この小屋のロケーションがまた凄かった。
ジャングルではないが周辺を藪に囲まれていた。

絶対この辺は、大きなクモとかサソリ(イスラエルにはサソリがいるのだ)がでるだろうなと思った。
この小屋、もしかしてキブツ設立当初(1930年代)から何も変えていないのではないか? 
そう思わせる程、この建物および周辺は古く荒れていた。
観光で来て、ホテル住まいではないのはわかっていたが、
いやあ本当に大変なところに来たな、というのが正直な感想だった。

残りのボランティアの部屋はここから5分ほどらしい。
この小屋で生活することになる、自分たち四人は、いったん部屋に荷物を置いて、後で残りの連中の居住区で落ち合うことになった。

続く 


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