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はじめまして

こんにちは。だいきです。

山あり谷ありの人生を送ってきましたが、そのたびに周りの温かいサポートに助けられてきました。

そのためこの温かい世界を広げたいという思いで、2020年12月に本田晃一さんのマイグレートメンター認定講師講座を受講。

ここではこれまでの経験や考えたことを発信し、似たような悩みを持つ方が少しでも届けばと思いはじめました。

経歴
2004-2007 父親の海外赴任に同行し、アメリカの高校で3年間を過ごす
2008-2012 日本で大学生活を送る
2012-2014 就職。日本で勤務
2014-2019 インドネシアへ海外赴任
2019-2020 日本に帰国し、転職。現在に至る。

アメリカに行って人生が変わった

アメリカに初めて移ったのが2007年1月。忘れもしない、中学2年の時でした。この経験が私の人生を大きく変えました。

私は元々海外志向はなく、地元で暮らして地元で就職するのだろうと思っていました。だから最初にこの話を聞いたときには、とても抵抗をしました。

まさか自分が海外に行くとは...!!

長い人生の3年間だけだから

そう親にも説得されて、泣き尽くしたところでアメリカ行きを決めました。

はじめは英語も話せず、わかっていたのはIt’s a penくらい!当然授業でも何を言っているか全く理解ができない。い、いっつあぺん?

クラスメートには英語の発音を馬鹿にされるし、笑われるしで本当に本当に悔しかったです。

なので家に帰って、泣きながら毎日死ぬ気で猛烈に英語の勉強をしました。365日*3年間 めちゃくちゃに勉強したのを覚えています。

そのおかげもあり、滞在1年を過ぎたあたりから少しずつ授業の内容もわかってくるように。それにともないクラスメートとも仲良くなることが出来てきました。

飛び級そして帰国

父親の任期は3年で決まっていました。対して高校は4年制。つまり飛び級する必要があったのです。。

英語もできなかったので、ESL(English as a Second Language)という外国人向けの授業も受けることに。自分の学区にはそのクラスがなかったので、隣の学区の高校へ。(高校まで義務教育のため学区できまる)

1年目はESLのある隣の学区の高校、残りの2年間は自分の学区の高校に通うことに。このためアメリカ滞在中に転校も経験しました。

転校や飛び級も重なり、毎回毎回あたらしい友達を開拓する必要が...!!否応なく開拓能力が鍛えられました笑

そんなこんなで生活には無事になじみなんとか3年間で卒業をすることができました。

日本に帰国。わたしの居場所はいずこへ

その後2007年に帰国し、その後2008年に日本の大学に入学しました。

そこからがハードモードのはじまり。

なんと言っても日本の文化になじめない。
周りの人が普通に出来てること、普通に考えていること、普通に持っているもの

みんなにとっては普通のことでも、その普通の振る舞いができない。四角い箱の中に押し込まれる感覚で。だからいつも浮いてしまって、とても悩みました。

自分のままではいけないのかな
自分は何もできないんだな
自分は周りとはちがうんだな

こんなことを考えたり。
他にも、よく次のような言葉をかけられました。

いいなあ帰国子女は。受験も楽だったんでしょう。
いいなあ帰国子女は。英語ペラペラなんでしょう。
なんか英語しゃべってみて?え、発音いいんだけどウケる。

次第に私は自分の意見は言わなくなり、周りに合わせることに敏感に。

誰も理解してくれない、誰もわかってくれない。

アメリカにいたときには日本人としてみられ
日本に帰国してからはアメリカ人としてみられ

私の居場所はいずこへ?!状態でした。

友達の支えと未来へ

そうして長いこと悩んできたり、自分のアイデンティティがわからなくなったりして。

そんなときにいつも支えてくれたのが友達の存在。その人たちのおかげでここまでこれたといっても過言ではありません。

なので似たような経験を持つ人に対して少しでも助けになればと思い、今回本田晃一さんのマイグレートメンター認定講師講座を受講しました。

日本はとてもよい国なので、海外でもより存在感を示せると思うし、これからもさらに海外でも活躍できる人が増えて優しい世界が広がることを願っています。

それではよろしくお願いします!

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