dferとは?

タイトルは遺伝子をイメージする単語から選んだ。
外からイメージ付けられない言葉、単純で覚えやすいけど意味はわからない、というやつ。
そもそもプロのイベンターでもないし、これで生計を立てているわけでもないから、縛られるものはない。
dferは音楽ジャンルより、表現に注目する企画なので、特定のサウンドがズラリと並ぶことがない。
好奇心や他者の表現に興味がなくなったら、それはdfer終焉のときだろう。
dferは、常に表現者に注目する。
それは、バンドだったりパフォーマンスだったり、映像、絵を描く人だったり。
そうした表現者が一つの場所に集まることで起きうる交流、変換、刺激をいつも求めている。

4/26fri dfer vol.75のフライヤー

個人企画なので、リスクもすべて自分。
しかし面白いことは待っていてもなかなか起きてはくれない。
同時に面白いことが起きたときに、自分も面白いことやりたい、となる。
GARUDA は2度目のdfer出演。
崎村ゆふぃが、テンプレからはみ出していくのがすごく良いと思う。相性がどうこうなんて、あとからついてくるもので、アイドルの概念はどんどん塗り替えられていく。知らない者がバカにするだけだ。
天井裏のザムザは、長い時間をかけて育ててきた世界観を大事にしている。ゴスと自ら称しているのも挑戦的で好きだ。
dewey deltaは、初見の印象は難解だった。
しかし、2回目で3人のメンバーそれぞれを見ているうちに、彼らがとんでもなく先鋭的なことをやろうとしているのでは?と感じてから要注目している。
曖ノ音は、きっかけが叭紅さんの弾き語りショート動画だった。
蜉蝣の曲をカバーしており、情念を感じずにはいられなかった。次いで、バンド編成でDIR EN GREYのTHE FINALをカバーしている動画にも惹きつけられた。
なかなか、この曲をカバーするなんて半端じゃないな、と。
ZOYOさんは偶然のきっかけだった。それは此処には書かない。
白塗りのソロパフォーマンス。
しかし、彼女はまだボクが知らない才能をたくさん持っているような気がする。
それはふとしたきっかけで開花する気もする。
女子が持つ特別な狂気を、本能と計算で魅せる術。

Dj はクロキさんとワタシである。
ひとくちにヴィジュアル系と言っても、好きな時代や好きな演出、それぞれ違う。
ただ、ヴィジュアル系が見失ったら終わりなのは「美学」と思う。
音楽ジャンルではなく、ヴィジュアル系とは「文化」ではないか?
テクノも実は美学ではないか?とずっと思っている。
これほど、仮に同じ音色、機材でもセンスを問われるものはない。
緻密で大胆。まさにテクノの醍醐味だ。

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