【教育】何を教えられるのか。そもそも教えるってなんだ。
サッカーが今年思うようにできない中、
沖縄で放課後等デイサービスに勤めながら今一度のチャンスを待っている。
コロナ禍で、福祉の業界というのは止まらない。
リモートワークや、自粛がされながら、現場は動いている。
社会には様々な環境があり、どの環境にもあうルールというか、
方法みたいなのはなかったりする。
福祉業界が動き続けてることは、
誰しもが理解していることではないだろう。
別に知って欲しいわけではない、でも知っててもいいんじゃないかと思う。
さて、そんな日常を送る中で、
自分はなにをすべきなのか考える日々だ。
今いる現場は、教育の現場というより療育の現場だ。
だから、学習をさせたり、
決まったことを決まったようにさせる場所ではない。
教育現場にないわけではないが、
特に個人の特性に合わせて、発達や社会生活を支える立場である。
より良い1日の時間の一部であるべきであるし、
教え込むことはなさそうである。
しかし、人を傷つけてしまったり、
人に嫌な気持ちにさせることは決してしてはならない。
その行動や言動が、どんな要因から起こってしまったのか、
我々は目を逸らさずに理解するべきことである。
コミュニケーションが難しい人もいれば、
話が聞けても、理解が及ばない人もいれば、
理解していてもその場の判断の材料にできなかったりする。
当たり前だと言うことも当たり前ではない。
これは誰でも言えること。
”人を叩いてはダメ”と言っても、
”なんで?遊んでるだけなのに”と言う。
その叩いてる力がすでに人を傷つけてる力だとしても。
”そんなの、傷つけたらダメに決まってる”ってゆうのは通じない。
なんでダメなのか、なんで傷つくのか、なんでそもそも叩くのか、
なんでその遊びをしていたのか、なんでその経緯に至ったのか、
なんで今日は少し力が強くなったのか、なんでイライラしてるのか、
どんどん話を聞きながら、細分化して落とし込む。
時間をかけて一つの事象に対して解決してあげる。
(その背後でまた違う二人が言い合いを始める。
個性のぶつかり合いはいいが、悪く言えばカオスだ。)
大人が苦労するというフィルターを取っ払って、
教えるというか、話を聞くこと、
本当に危険な時以外は、話を聞く。
なにを教えてやろうとか考えないで、
話を聞いて、気持ちを吐いてもらって、
もし何か伝えられるなら伝える。
大人も子どもなく、まずは話を聞く。
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