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「長野くんは地球を守る合間にV6をしているのよ」


一人っ子でお人形遊びが好きだった私だったが、特撮好きの母の影響で、家にはセーラームーンのと同じ数くらい仮面ライダーやウルトラマンのビデオが置いてあった。
平成ウルトラマン、ウルトラマンティガは保育園でも大人気だった。
もちろん母の影響もあり、私もティガが大好きだった。
1番好きなのはもちろんダイゴ隊員。
放送が終わるまでの間に、私の家はティガの本やフィギュアがどんどん増えていった。

「長野くんは地球を守る合間にV6をしているのよ」5歳の私に、母はそう教えていたそうだけど、そんな記憶は全くなかった。
「V6の長野くんがダイゴ隊員を演じている」という認識はあったし、長野くんがV6というグループに所属していて、芸能人であることもわかっていた。
保育園でめちゃくちゃな歌詞でTAKE ME HIGHERを歌う男の子を見て「全然ちゃんと歌えてないやん!」と白けた目で見ていた。
きっかけはウルトラマンティガ。ダイゴ隊員。長野くん。
私は物心ついた頃からV6のファンだった。

2020年、私は29歳の誕生日を迎えた。

10月31日。
大阪で一人暮らしをする私の元に、母が泊まりに来た。
もちろん、V6の25周年ライブ、そしてその前夜祭を一緒に見ようと約束したから。



「初めて行ったコンサートのこと覚えてる?」と聞かれた。

大阪城ホール、アリーナ席。
確か外周に花道があった。
小学生にもなっていない小さな私には、背伸びをしたってステージは見えなくて、157センチの小柄で体力もない母が、必死に私を腕に抱えて目線を上げてくれた。
(今考えるとマナー的によろしくないかもしれませんが、20年以上前のことなのでどうか大目に見てください)

「博」と書いたシールを、ピンク色のハート型ペンライトに貼って、ティガの人形も持って行っていた。
近くの席のお姉さんが、外周に長野くんが来たときに「こっちおいで!」と言って、見やすいところまで私を連れて行ってくれて、一生懸命長野くんに手を振った。
長野くんはスクーターに乗っていたから一瞬で通り過ぎてしまったけど。

記憶にある限りのことを話すと「そんなに覚えているんや」と母は驚いていた。



母は幼い私をたくさんコンサートに連れて行ってくれた。
代々木体育館で2DAYSのコンサートは今思えば夢のようだった。
関西の片田舎で暮らす私が母と2人で東京まで新幹線で旅行する。
それだけでもドキドキするのに、2日間もV6のコンサートが見れる。
1日目の終わりに「また明日ね!」とメンバーが言ってくれたのがうれしかった。

舞台もたくさん観に行った。
小学生の頃に観劇した「東京サンダンス」や「トンカツロック」は話が難しくてあまり理解は出来なかったけど、いつもバラエティでふざけているトニセンの3人が、泥臭くてかっこ悪い若者の役を物凄い熱量で演じているのに圧倒された。

トニセンのディナーショーに行く時、母は「オシャレしないと」と言って、私を地元のデパートに連れて行った。
10歳にしては背が高かった私は、婦人服売り場で初めて大人の洋服を買ってもらった。
白い半袖のハイネックのニットに、ファーの飾りがついた黒いスカートだった。
ホテルで食べたフランス料理のフルコースはよくわからない味がした。
客席にいた私より小さな子供が、トニセンに花束を渡していて、3人がそれを落とさないように気をつけながらその後の曲を歌って踊っていたのがなんだか微笑ましかった。


母は夜遅くに放送しているテレビ番組は全部録画してくれていたし、音楽番組はV6が出ているところだけを抜き取って編集されていた。
車の中ではいつもV6がBGMで流れていた。

学校では「学校へ行こう!」やカミセンが出ているドラマのことで、いつも話が盛り上がっていた。
運動会では、学年でやる創作ダンスで使う曲に「CHANGE THE WORLD」を推薦したら、見事に案が通り、練習の度に運動場に曲が流れるのがうれしかった。
運動会当日、運動場に響き渡る「CHANGE THE WORLD」を聴いて母は号泣したらしい。



目に、耳にする、V6の音楽・コンサート・バラエティ番組・ドラマ・舞台は、私にとって全てが教育だった。
音楽の素晴らしさ、ダンスの魅力、演劇の面白さ、仲間を大切にすること、何かに一生懸命な人はかっこいいこと、自分の好きなことを突き詰めていくことができる人は輝いていること、楽しそうにしている人を見るのは楽しいこと。
初めて行く東京、初めての舞台、初めてのホテルのディナー。
全部V6が与えてくれた感情と経験だった。

11月1日。
25周年の記念ライブ配信。
もう何回母と一緒にコンサートに行ったかなんて思い出せない。
母は私にとって所謂「相方」だった。

「羽根〜BEGINNING〜」を歌う6人の姿に、だんだんリフトしていくステージに、既視感を覚えて鼓動がうるさくなった。
降り注ぐ雨の演出に、子供の頃見たコンサートの記憶がぴたりと重なって涙が止まらない。
10年以上の時を経て、大人になった私にまた同じ景色を見せてくれる6人が大好きで、愛おしかった。



20年以上、子供から大人になるまでずっと変わらずファンでいさせてくれることが、最高に幸せな偶然であり、彼らの計り知れない努力のお陰であることを思うともっと涙が溢れた。
私はなんて幸せなんだろう。
V6のファンであることに誇りに思うし、いろんな人に自慢してしまいたい気持ちになる。




私は29歳になって、母は56歳になった。
V6に出会った時の母と、同じくらいの年齢に私はなった。

週5日フルタイムの正社員で働きながら、子育てと家事とオタ活をこなしていた母は今思えばとてつもなくパワフルだ。

今の私は背も50センチは伸びて、母を追い越し、アリーナ席で埋もれてしまうこともなくなった。

去年のトニセンのディナーショーでは、私が母にメイクとヘアセットをしてあげた。
ホテルで食べたフルコースは全部美味しくて、2人でワインをたくさん飲んだ。
相変わらずトニセンの3人はスタイルお化けで、かっこよかった。
大人になっても同じ人たちのことを応援することができて、ずっと好きでいることができて、そして、母ともう一度同じ経験ができるのがうれしかった。



彼らを見る度に「ああ、今が1番好きだなあ」と思えること、20年以上もそう思わせてくれることは、とんでもないことなんじゃないかと思う。
いつでも新しいものを見せてくれて、過去に彼らと私たちが共有した時間も大切にしてくれている。
今、昔ほど鋭利なスピード感はないけれど、ファンを決して置いてけぼりにはせず、ゆっくりと一緒にこの先も歩んでいけそうなこの歩幅がちょうどいいと思う。


V6が見せてくれる新しい景色と感動を、子供の頃に見たあの景色と感動を、これからも私は眺め続けたい。


「長野くんは地球を守る合間にV6をしているのよ」
母は私にそう言い聞かせていたそうだけれど、それよりももっと口酸っぱく何度も何度も言っていたことを私は覚えている。

「あんた、結婚するなら長野くんみたいな人にしなさい」


そんな母は坂本くん担当なのだが、奇しくも母の旦那、私の父の名前は「ヒロシ」なのだった。
これからも末永くたくさんよろしくね、V6、お母さん、ヒロシ。

(地元から母を私の家まで車で送り届けて、寿司とケーキとお酒を差し入れしてそのまま帰っていった父ヒロシありがとうね)

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