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言語と文化は切っても切れない ー 「イメージ言語」なら、なおのことそうである。


「え?上向いて泣くの?」

初めて中国手話で死別の悲しみを表現しているのを見た時の驚きの感想である。
「苦しい」「涙」…そこまでは分かるがその後辛そうに天を見上げ、叫ぶように口を開けている。両手まで広げて…まるで舞台俳優のようだ。

日本手話ならここは涙を堪えるように下を向くだろう。
声が漏れないよう口を抑える仕草さえするかもしれない。

日本では、「人前では感情を抑えるのが美徳」とされるので
日本人は葬式においても、悲しくても無理して顔に表さない。
これに対して、中国人は葬式で悲しみを表すために大きな声で泣く。
「葬式における中日の泣き表現の比較」袁媛

なるほど、そもそもの文化や価値観の違いがそのまま手話に表れているわけだ。
音声言語を勉強しているなら「泣く は中国語で“哭”か。」
これで終わりである。

しかし手話を勉強しているならそれでは足りない。
中国人がどうやって泣くのか、きちんとイメージできていなければ伝わる手話にはならないのだ。
本当に手話という言語は奥深く興味深いなぁ、とつくづく思う


弔いの儀式も国が違えば文化も違い、もちろん手話表現も違う


日本で仏壇に手を合わせて…というような話をろう者とする時は、指で線香を「1本」つまみ、立ててから手を合わせる、といった感じで表現することが多かった。
私自身、仏壇の作法は詳しくないがこれくらいの仕草なら思いつくし、十分ろう者に通じる。

しかし中国手話では両手で線香を「束で」挟み、それを体の前に掲げ(捧げるように)、何度もお辞儀をして…という表現になっていた。
また何か棒に火をつけて耳を塞いだり、紙のようなものを燃やすような仕草もしていた。

中国でそんな光景をまだ見たことがなかった私はその意味が最初全く分からず、「この手話は一体何をやってるの?」とろう者に聞いた。
ろう者たちが葬式や仏壇での儀式を教えてくれて、それぞれの仕草の意味が理解できた。つまり爆竹を鳴らしている仕草と紙で作ったお金(あの世で使えるように)を燃やす儀式を表していたのだ。

その後中国ドラマを見ている時に、実家に帰省した主人公が亡くなったお母さんの写真の前で、まさにあの時私が見た中国手話の表現と全く同じことをして手を合わせているシーンが出てきて、やっと本当の意味であの手話表現の動きがはっきりイメージとして刻まれたのだった。
「あぁ💡これのことか!」と手話とリアルな映像がピッタリはまった瞬間だった。


お粥は「飲む」、パスタは「箸で食べる」

イメージ言語の表現の違いは生活習慣の違いとも密接な関係がある。

例えば日本のお粥に比べて中国のお粥はさらさらで水分が多い。
実際、日本のドロッとしたお粥の写真を見せても彼らはこれをお粥とは認識しない。
音声言語の中国語でもお粥は「飲む」という動詞を使う。

そうなると手話表現も変わってくる。
中国で、あるろう者とフードコートで何を食べるか相談していた時、彼女が「今日はお粥にする」とお椀を持って飲み干すような手話をしたので、最初何を言っているのか理解できなかった。
彼女が注文したさらさらのお粥を見て初めて「あぁ、「飲む」…ね❗️」と理解できた。

面白いのはパスタを食べる時である。
もちろんイマドキの若い中国人たちは十分テーブルマナーを心得ていて、洋食器も使い慣れてはいるのだが、やはり日本ほどには浸透していないのか私は多くの中国人がパスタを箸で食べているのを目撃した。

日本では「数字の3」をフォークに見立てて下に向け、クルクル回して「スパゲティ」とやるのだが、中国でこれは通用しない。
だから彼らが手話で表現してくれても、どんな麺料理を食べているのかさっぱりイメージが湧かないのである。
炒面(焼きそば)なのか意大利面(パスタ)なのか…だってどっちも箸で食べているのだから。


言語を知ることは文化を知ること

手話はイメージがはっきり描けていないと伝わらない言語であり、本当に特殊で面白い言語だ。

機械の操作とか料理の工程とか楽器の演奏とか布の染色の方法とか…

そこにどんな動作が伴っているのかを知らずに手話で説明しようとしても、恐らくイキイキとは伝わらないだろう。
単語、単語でつないで説明してみても、そこにイメージや映像を描けていないなら、ろう者にはまるで「死んだ手話」である。

この機械はどこにどれくらいのサイズのレバーがついているのか
この野菜を切る時それは硬いのか、柔らかいのか
丸鶏をどうやって絞め、さばくのか
(これは日本人には全くイメージのわかない工程である)
この楽器はどこで弦を押さえ弓をどの角度で引くのか
この植物で染色したいならどうやって色素を抽出するのか

一見、手話の勉強とは関係ないようだが実は大いに関係がある知識である。
そういう目で世界を見れば、自分がまだまだ知らない世界がどれほど広いかを身に染みて感じるだろう。

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