ただの生き損ないの死に損ない

ただの生き損ないの死に損ない

最近の記事

薫る煙と共に

こんばんは、咎です。 みなさまいかがお過ごしですか。 十月も終わってしまいましたね、早い。 思い返せば早いけれどほんとうにいろいろありました。人生ってそういうもんだよなあ。 みなさまはどんな十月だったのでしょうか。 楽しかったりしあわせだったりしたことはあった?辛く苦しいことも、それは当たり前にありますよね。当たり前だと言われるのは癪ですけれど、生きていると人それぞれの形の苦楽があるのだと学びました。 わたくしはといいますと、念願叶って、大都会東京から離れてもうすぐ二ヶ

    • コンカフェ及び夜職から退いた

      こんばんは。 初めましての方もそうでない方も いかがお過ごしでしょうか。咎です。 暑さに翻弄されていたことが懐かしいような 気温になりましたね。体調は崩してませんか。 さて、あまりnoteを動かしてはおりませんでしたが 前回無職からコンカフェの世界に踏み入れた際に 文章を綴ったので、今夏を最後に足を洗ったので また一区切りの言葉を残してみようかと思います。 23年の9月から24年の8月までと一年足らずでしたが とても面白い世界を経験したなと今でも思います。 出会わなか

      • +2

        とりこぼした夏

        • 何者かになりたかったから、コンカフェ嬢になってみた

          転職したにも関わらず、突然、仕事に行けなくなった。無職になった。 摂食障害の過食嘔吐による負債まみれのまま、惨めな日々、小さなワンルームの中でひとり。毎日死にたかった。 だがしかしそう簡単に死ぬ訳にもいかず、親に懺悔の手紙を書いて一時帰省。少し救われてまた東京へ。 とにもかくにも、生きるにはお金がいる。アルバイトをしなければ、と。 幸い都会には選り好みしなければ仕事は幾らでもあった。でもどうせならやりたいことやなにか学べそうなことがしたかった。 かれこれ数年間、過食

        薫る煙と共に

          無職になった。

          無職になった。 もうすぐで25歳だ。 摂食障害、過食嘔吐によって 貯金なんてものは無い。 お先真っ暗、親に面目ない。 自分でもなんで辞めたのか まったく意味不明な気持ちのまま 泣きながらもう無理だ、とおもった 好きな職だった、環境も悪くなかった、 これからがんばろうという気持ちもあった。 なんでなんだろう。 自己嫌悪とこれからの恐怖で もう頭はパンクしそうだった。 それは今月初めの話。 いまは少し気持ちは落ち着いている。 無職だけれど。 無職になって、毎日起きて準備

          無職になった。

          生は自己満

          吐瀉物で埋もれていく日々 人生なんてゴミ箱 人間なんてどれも嘘くさい くせに、創られるものたちすべては美しい 悔しい ひれ伏している芸術にずっと。気がつけば跪いて引き摺り回されて生き延びている ぼくを救うのは人間じゃない、痛みと苦しみが生んだ汚くて醜くて意味不明な煌めく言葉たちと芸術だ 創りものは創られたものでも創る理由と意志と意味があるから嘘つかない、っておもっている。 はやく存在がアートになりたくて、醜いくせに生きてるし、好きを身に刻んでいっている 傷だらけ墨だらけ穴だら

          生は自己満

          無意味

          ふつうにまいにち生きたくないしはやく終わりたいし、なんかそんな人間が自分のことを繕うのってほんとうに馬鹿馬鹿しいなって だがしかし体裁だとかは諦められるのに容姿に関してはいつまでも捨てられないからさいあくです。いつになったら人類すべてがアバターの見た目になりますか?とおもうが、それはアバターに失礼だなと本日やっと気が付きました。もうどうしたらいいんでしょうね整形するしかないのは分かってますけれど、そこまで費やせるほどになるまで貯蓄を軸に日々を過ごせる自信も生き耐えられる自信も

          無意味

          相違

          わたしの気持ちがどれほど真摯にまっすぐであっても、逸らされたり避けられたり見えない素振りをされたり蔑ろにされたり、自分という人間と他の人間との気持ちへの率直さというか素直さというか、重さや大切さ、かけてる度合いの違いに何年経ってもどうがんばっても引き裂かれる わたしの愛って、気持ちって、もしかしたら不可視なものだったのかな。みえるひと感じられるひとが希少価値なだけだったのかもしれない もう、そういうひとたちだけ、たいせつにできたらいいのにな 余計な気持ちの消費と活動を幾らか減

          home

          あんなに出たかった実家が、あんなにだいきらいだとおもっていた場所が、いつしか帰ることを心待ちにする、耐え忍ぶ理由になる、そんな唯一無二になっていた。 歳をとったんだなあ、と、おもう。色々な場所で生活してきたからこそ、分かった、いくら自分が変わろうとも変われない部分があろうとも帰れる場所。受け止めてくれる波音、囀り、木々の共鳴。自然が、好きだ。 きっと長くてもあと一年と少し、まだ少しだけ都会で踏み潰されて生きてみようとおもう 都会にだって、やさしさはあるから、だからすこし、まだ

          @Auckland museum

          わたしの言葉が嘘になることはないけれど、だれの言葉や態度は嘘であったり、あとからでも容易く嘘になるから、その差異に幾度となく苦しめられる ずっと、ずっといつまでも、このせいで、くるしくて、つらくて、いたい けれども、それでも好きな人間たちのことは好きなままで、たいせつで、どうすることもできない わたしが、わたしを、やめるまではもうなにもどうすることもできない しあわせはだれかがしあわせになることだし、自分に対してはなにも、もう、ない ただ日々が過ぎるのを待つだけなんだよ もう

          @Auckland museum

          notitle

          わたしの人生のなか、好きな人間たち、ほんとうに花のように儚くて尊くて美しくて大切な存在、だと 自分が育てる植物が思い通りにいかなかったとしても、愛おしいように、なにがあろうと結局わたしは好きな人間たちのすべてをそのまま受け止めて抱きしめたいなって思ってしまう しあわせならそれでいいって、ただ、少しでもどうか痛まないでいてって

          notitle

          感じるってじゃあなに

          感受性を失って生きるくらいなら感受性に振り回されて痛くて死ぬ方が何億倍もマシ、というこの文章すら感受性が云々て言われるんでしょうか         知らなくていいことばかりなのに避けられないって、苦しいよな 血の繋がる人間にすら理解されないような人間をやっているのに、極偶に誰かに理解されたような勘違いを得てまた間違う   おまえがしあわせならわらってるならそれでいいよ、と対する度に思うのに、しあわせじゃなくても不幸にはなりたくないな、とか願ってしまいそうになる ずっとだれかの

          感じるってじゃあなに

          日々

          毎日夜通し崩れてくなにかがあって、けれど朝日はあたたかくて、しっかり変わらず地球は自転している こんなもんかって、妙に納得して、崩れたものをまた一つずつ拾い集めながら笑う 一人でも生きていけるけれど、目に映る何かには誰かが必要な人生 憧れたちがどうかしあわせでありますように、と祈りながら、今日を耐える理由があることに感謝した

          prier

            こんな身体から、病気から、思考から、解き放たれたいと思うのと同じくらい、終わるまでずっとここから抜けられないことを理解している 言葉は凶器だ 鋭利なそれらは一瞬で終わらしてくれたとしても、言葉は残ってしまう 滲みもせずに

          道徳の在処

          他人に優しく家族を周りを大事にって説かれるばかりで、誰も自分を大切にする方法や意味なんて一度も教えてくれなかったよ     教育って、なんですか?道徳って、他人だけに向けるもの?今更なにを言われたって、過ぎた時間も染み付いた思考も塗り替えるなんて難しい もっと違うところで甘やかされて、大事にされて、厳しくされるべきじゃないのか 子どもって     誰も教えてくれなかったから、自分で手探りするしかないから、だから自ら終える選択肢に辿り着いてしまうんじゃん   自分の為に、最後の

          道徳の在処

          人生とか

          傷んだ心と体と、夜と、散歩 結局これが最適で最善な療法かよって、笑ってる 炭酸の抜けたビール片手に 自分に才能もセンスも知識も自信も価値もなにもなくても、アルコールと音楽とカメラと夜と自然が存在するなら生きていけるなって 不必要さを立て続けに突きつけられる現実と、上手く処理対処できない己のコスパの悪さに、自分の言葉すら信じられなくなって疑心暗鬼の塊となっていましたが。やはりわたしはすべてを引っくるめて、あいしているな、と痛感して良い夜でした 生きても死んでも好きだよ。 まだ死

          人生とか