見出し画像

ごきげん人研究 その3 大人の心、こどもの心

おかしいの、私

大型店舗の従業員専用エレベーターに乗っていたところ、途中階で比較的高齢なご婦人が入ってきました。エレベーターの中はご婦人とおっさん(私)だけ。ご婦人、入るなり話しかけてきました。

「いやぁねぇ、私って。(くすくす)

さっき2階の自動販売機で、コーヒー買ったのよ。それでおつりをちゃんと持って帰ろうと夢中になっちゃったみたいで、コーヒーを持って帰るの忘れちゃったみたいなの。おかしいでしょう?(くすくす)

ごめんなさいね、急に変な話しして。

(2階に到着。扉が開く。)

まだあるかしら~、私のコーヒー♪」

歌うように出ていくご婦人。

私、きょと~ん。

でもなんだかとても楽しそうでした。

従業員用エレベーターは人荷共用で、とにかくどこかの階でひっかかって呼んでもナカナカやってこない。おまけに今日は雨で寒い。お腹もちょっと痛い。結構イライラっとしてたところに、ご婦人の唐突なおちゃめ話し。

ほっこりしましたよ。不機嫌からごきげんにメーターが振れましたとも。

ちょっとした失敗を「おかしみ」に変えて、自虐するではなく自楽している。そしてその「おかしみ」を見ず知らずの人にもシェア。「おかしみ」を受け取った私も「ほっこり」。

ごきげん人発見!

大人の心、こどもの心

「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた」(紀里谷和明著)を読んでいます。

その中に、「大人の心、こどもの心」というたとえ話が出てきます。

大人の心は、理論武装、鎧、比較検討、PDCA、現実主義、夢や恋で飯は食えないの部類にはいるやつ。

こどもの心は、直感、好悪、気持ちいい悪い、好きだから好き、みたいな言語化しにくいもの。

誰でも、大人の心とこどもの心の両方を持っています。大人の心が肥大化して、こどもの心をないがしろにしたりします。見えないふりをします。

多くの人に認められなければ意味がない、と考えていわゆる成功本をいくつも読んで真似しようとするが成功せず、結果が出ないと嘆いては自己憐憫の日々。いやこれは世間が間違っているんだと。

じゃその世間って具体的に誰なんだというと、隣の女子高生やはげ上司とかじゃなくて、結局自分のことだったりする。決めつけてるんですね。

こどもの心は、ただただ、愛してほしい、自分を認めてほしいと言っているだけだったりします。

さきほどのご婦人も、「あ~物忘れがひどくなってきたわ。また失敗しちゃった。同僚にも嗤われる。ちゃんとしなきゃダメじゃない!」なんて思い出すと自己否定が強くなり、無価値感が湧いてきてしまうかもしれません。

そうじゃなくて、「こんな失敗もかわいいものだわ。私ってばおかしいわね。」と自分を楽しんでしまうと、価値ある存在となるわけです。

本日はこれまで。ごきげんさまでした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?