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響き合う


 日野江植物公園に来るのは桜の季節以来2ヶ月ぶり。風景はすっかり一変し、梅雨時の瑞々しい新緑色に包まれていた。
    咲いているのはアジサイ、ハス、水蓮、花菖蒲、ギボウシなど、この時期ならではのしっとりとした涼し気な草花たちだ。

ギボウシ



 特別展示「ギボウシ」には多種多様な葉の色形があることを知り、驚かされる。
 
 植物園による説明を要約すると      

    日本には約20種のギボウシが、北海道から九州の湿った山野や林野などに生育している。古くより春の山菜として新芽を食用とし、また花や葉を楽しむ鑑賞対象としても親しまれ、江戸時代に出版された植物図鑑にも記載されていた。

 大航海時代、17世紀になるとヨーロッパのプランツハンターたちが日本を訪れるようになり、1800年代には多くの学者がギボウシを持ち帰った。中でもシーボルトはギボウシの収集に熱心だった。
 その後ヨーロッパで品種改良が進み、大型種や斑入り種などたくさんの園芸品種が誕生する。

 日本原産だが母国よりも海外での人気が高く、イギリスやアメリカなどでは同じ品種を数多く群植させて美しさを演出させている庭園を多く見かけることができる     

    江戸時代には親しまれていたものが、その後注目されなくなった理由はわからない。
 しかし今は逆輸入される形で、美しさを再発見させられることになった。

 個性豊かな造形と、大らかなハート型の葉は、陽の光りを求めて葉を拡げている。それはまるで天に向かって心を開いている姿のようにも見える。



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 話は変わるが、ギボウシが逆輸入品種だったと知って、そう言えばヒーリングワークの世界においても逆輸入されたものがあることを思い出した。このメソッドは愚生が行っていたヒーリングワークにも取り入れ、また話の後半に述べる「伝授」も行っていた。

 大正時代に一人の日本人が生み出した「臼井靈氣療法うすいれいきりょうほう」という手当て療法は、戦後国内ではなく海外で普及し、後に1990年代になってから「Reiki(霊気)」という名で逆輸入され、徐々に知られるようになった。

 創始者は|臼井甕男《うすいみかお》氏(1865年-1926年)。

臼井甕男氏
Wikipedia


 臼井氏は、公務員、会社員、実業家、新聞記者、政治家の秘書など様々な経験を積んでいく中で、「人生の目的」とは何かを探求するようになる。

 禅の修行をするも悟りを得ることができずに、死を覚悟の上で1922年春、京都の鞍馬山山中に籠り断食を始める。

 断食に入り21日目の深夜、頭に強烈なショックを味わい、意識不明に。

 夜が明け始めた頃、ようやく気付くと心身に力強さが漲っていた。宇宙と自身との共鳴「宇宙即我」の境地に至ったことを知る。

 心身を貫くエネルギーが人の癒やしを起こすことを知り、この力を他者にも伝授する方法を開発。これが臼井式霊気療法始まりとなった。


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    臼井氏はこの治癒力を「霊気レイキ(靈氣、霊氣)」と名付け、東京に「臼井霊気療法学会」を設立。翌年1923年の関東大震災時には負傷者の手当てに活躍した。

     戦前までの日本では一般に広く実践されていたが、戦後GHQの弾圧を受け、施術を一切禁止されたため衰退していく。日本人から優れた民間療法を奪い、西洋医学と薬物のみに依存させようとする策略だったと思われる。

 その後、臼井氏の弟子林忠次郎氏からハワイの日系アメリカ人ハワヨ・タカタ女史に伝授された。彼女は難病のため余命幾ばくもないと医師から宣告されていたが、8カ月間のヒーリングの後に完治。やがて今度はタカタ氏から伝授された者が中心となってアメリカ全土へ、そして世界中へ〝Reiki〟として普及することになる。今日世界には500万人もの人々が実践しているという。

 弾圧した側である当のアメリカ本国では、現在一つのカリキュラムとして伝授している大学もあるほど認知度が高く、また医学界や軍の医療現場においても治療に応用されているとのこと。

 またイギリスの辞書〝Collins English Dictionary〟の2001年に発行された新版では、新たに収録する日本語由来の英語の一つとして、「Ramen」「Bento」「Gaijin」などと共に「Reiki」が選ばれているほどである。




 日本語の「手当て」の語源は、この霊気による手当て療法だったのではないかと思う。戦前の日常生活の中では、家族と自分自身、また身近な人の身体を浄化し、健康を取り戻し、癒やしの神秘を体感する身近なものだった。

 また子供の頃、体を痛めた時によく聞いていた「ふ~ふ~、痛いの、痛いの、飛んでけ~!」と息を吹きかけながら手を当てる子供向けのおまじないは、この霊気での施術から生まれたという説がある。それは有り得る話だと思う。

 霊気では施術を始める前に、まず臼井氏から代々伝授されてきた「シンボル」を空書きしながら「マントラ」を唱える。

 これは秘伝のため公開不可だが、この二つをセットで使うことにより、施術者の周囲に偏在する生命エネルギーを施術者の中に取り入れる「回路」が開かれる。

 この「シンボルとマントラ」には4段階のレベルがあり、段階が上がる毎にエネルギーも強力になっていく。

 最後の4段階目を伝授された者は、他の者に伝授することができるようになる。この伝達儀式もまたとてもパワフルなものがある。愚生が伝授を行なったクライエントの中には、身体に入ってきたエネルギーが、らせん状に身体を上から下へとグルグルと貫く感覚を実感する人もいた。




 健康な身体ではエネルギーは上から下へと流れている。怪我や感情の抑圧によって身体の不調が起こる場合、その部位にはエネルギーの滞りが起こり、あたかも台風の目のような形とそっくりな渦が生まれている。

 この状態のまま長期間放置されると、エネルギーの渦の中心部にある肉体組織はやがて硬直し、本来の機能が損なわれ、不調をきたすようになる。
 このエネルギーの塊を流すことができると、自然治癒力が蘇り、再び身体は健康を取り戻すことができる。




 この解放をもたらす霊気の手当てもまた渦のようならせん状のエネルギーである点が実に興味深い。

 縄文土器には「らせん状模様」が描かれているものがあるが、これは単なる装飾ではなく、周囲に偏在する気のエネルギーを土器の内部に取り込み、内部から外へ放出する循環の流れを生み出すガイドとなった。渦の向きによって、気の出入りの流れが決まる。時計回りの渦は中から外へ気が流れる。反時計回りは逆に外から中へと気が入っていく。
 
 このことは、若い頃の遺跡発掘アルバイトの現場で、掘り出した遺物に手を当て実際に感じたことである。
 縄文人は、気の流れによって貯蔵していた食物の鮮度を保持できることを熟知していたのだと思う。



 
 霊気もこれとまったく同じ原理。プロのヒーラーでなくても、未病の段階で自身や家族の身体の変調に気づき、自らの手で癒すことができれば、手術や薬に必要以上に頼らなくても、私たちの健康はもっと身近なものになるはずだ。

 海外から逆輸入された「Reiki」は、心身の治癒を主眼としたものであり、現在日本で施術している方のサイトを見る限り、奇蹟的な治癒は国内でも頻繁に起こっていることが伺える。

 臼井氏が「臼井靈氣療法」によって目指したものは、古代の縄文人のような人々から脈々と受け継がれ、私たち現代人が今も潜在的可能性として持っている「安心立命=宇宙と響き合う」ことだった。
 このことが最も重要な肝だろう。現在、国内では様々な所で伝達儀式を受けることができるが、その理解があるかないかで深みに違いが出てくるのではないかと思う。

 美しく咲き、やがて枯れていく草花や樹々たちは、大空とその先にある宇宙と響き合い、エネルギーの循環を体現しているように見える。



 

北九州市 日野江植物公園

ギボウシ






日野江植物公園内































































































































Passacaglia - Handel/ Halvorsen
Alvin's Piano Music



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