見出し画像

陽だまりにゃんこ9:梅雨の晴れ間の日向ぼっこ



最終目的は、「望まれずに生まれてきた不幸な猫たち≒迷惑な飼い主のいない猫」を「地域猫」として管理し、「今以上に増やさないこと」と、「生命を受けてしまった猫たちは、地域環境の中で、出来るだけ快適に長生きできるように」ということです。

日本動物愛護協会




 向日葵ひまわりの花芽が随分と色づき大きくなってきた。夏本番に向けて着々と準備が進んでいる。
蒸し暑い日が続く中、北九州の公園で暮らすさくら猫たちは束の間の梅雨の晴れ間をエンジョイしようと、のんびり日向ぼっこに夢中である。

最近いつもの散歩コースで、猫の世話をする人たちと顔見知りになり、会うたびにいろいろと情報交換するようになった。

「今日、あの仔見ました?」
「向こうの丘の反対側にいるのを見たわよ。」

「最近、あの毛がふさふさした仔、見なくなったよね。」
「あの仔は、いつも餌やってるあの夫婦が家に連れて帰ったみたい。よかったあ。」
なんていう話も聞ける。

「これ良かったら飲んでね。」
とドリップ珈琲を頂いたり、お返しに、
「ポストカードをプリントしたのでどうぞ。」
とその人のお気に入りの猫写真をプレゼントして喜ばれたりもする。

犬の散歩をしている人同士で会話をしているのはよく見かける光景だが、地域猫の世話人同士で、不思議な関係性が出来上がるのはまた違う雰囲気があって面白い。

世話する猫は勿論自分の飼い猫ではなく、みんなにとっての共通のアイドル的存在。
同じ猫でも皆それぞれに自分が付けた名前で呼んでいる。猫もまた、それぞれちゃんと対応しているのが可笑しい。
餌の食べ方を見て、今日はすでにたくさんもらっているとか、まだあまり食べていないとか、そういう判断をしながらあげていたりする。

中には毎日30分以上もかけて1年365日車でやってくる人もいる。お話を伺うと自宅にも保護した猫が25匹いるとのこと。
具合が悪い仔がいたら病院へ連れていき、喧嘩をして大けがをした猫の手術代まで面倒を見る。
交通費、餌代、医療費に相当の出費をしながらも、世話することに熱意を持っている人たちである。

そうして猫は癒され、世話をする人も癒される。
あのじっと見つめてくる猫の瞳を見ると、出会う人の人間性を一瞬にして深く見抜いているのではないかと思えてくる。餌をくれる常連の人が来ると喜んで走っていく姿は微笑ましい。

もしかしたら猫たちは人間が癒やしを必要としていると分かっているのかもしれない。その上であの「ツンデレ」という態度は、必要以上に人を寄せ付けずに適度な距離をキープし、自分の居心地の良さを守ろうとする猫特有の繊細な感受性の現れではないかと思う。

家猫に比べて極端に短い寿命を生き、やがて人知れぬ森の木陰に身を横たえて土に還ってゆく時を迎える。その最後の時でさえ、彼らは生きていた時と同じように静かに去ってゆくのだろう。

猫の世話をする献身的な人たちは、猫たちのそうした生涯全体を丸ごと受け止め、見守り、共に過ごしている。その視線の先には、日本人の意識、社会の姿、命の尊さを深く見つめていらっしゃると感じるものがある。


***



地域ねこの問題がなかなか無くならない。
相変わらず公園に子猫を捨てていく人が後を絶たないようだ。
今朝は散歩の途中、地域ねこ保護活動をされているNPO法人の方とお会いした。
SNSで地域ねこたちの写真を投稿していると言うと、場所の名前だけは出さないで欲しいと言われた。
以前別の場所でSNSに地域ねこ保護活動の話題が投稿された後、捨て猫が30~40匹ほど突然増えたことがあったという。この公園でも最近3匹の子猫が捨てられていたそうだ。
その場所なら誰か面倒みてくれる世話人がいるので、捨てても構わないと思う人が多数いたようだ。これはあまりにも本末転倒な話だ。

猫好きなnoteのクリエイターさんにはこういう行為をする人はいないと思うが、世間の中で猫を飼っている方には、子猫を外に捨てようとする前に考えて欲しいと思う。
子猫を外に捨てるとその子猫は大変な苦労をするということを。食べ物は少なく、雨風を凌げる場所も少なく、縄張り争いで怪我をするなどして寿命は家猫の三分の一しかない。
飼い猫が子猫を生んでしまったなら、自分で育てるか、里親を見つけるまで責任を持って面倒を見て欲しいと思う。
それができなければ、飼い猫に去勢避妊手術をして欲しいし、手術する費用を捻出できない場合には費用があまりかからないペットを育てることを考えて欲しい。
ペットを飼うことで命の大切さを学び、癒されることも間違いなくあると思うが、そこにはペットの命が尽きるまで飼い主の責任が付き纏うという理解がなければ、こうした地域ねこの問題はイタチごっこのままいつまで経っても終息しない。

これまでnoteに投稿してきた猫関係の記事をすべて見直し、場所の名前はすべて伏せることにした。今更遅いかもしれないが、今後のことを考えたら最低限できることはやらなければならない。
これからも人と猫が共に心地よく共存できる環境を作るために自分が何をできるのか見つめていきたい。





北九州市にて



























































































この猫たちが暮らす森





🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷🦝🦊🦁🐺🐸🐨🦧🐬