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感謝の強要

私は、母子家庭で育った。

父親が、
私が小6の時に死んだからだ。

私が結婚するまで、
母ひとり子ひとりの生活だった。

いいも悪いもない。
どうしようもないことだ。

でも、
世間の大人たちは言った。
「かわいそうに」と。

そして、
次に出るのは、こんな言葉。

「お母さんに感謝せないかんね」

ほぼ100%と言ってもいい。
大人たちは皆、口をそろえて言った。

母子家庭における、
母親の大変さは分かる。

でも、忘れないでほしい。

子どもだって、がんばってるんだ。

どうしようもない現状を
しっかと受け入れ、
親に必要以上の負担をかけまいと
健気にがんばってるんだ。

大人たちは、
大人のことしか見えてない。
大人の気持ちしか分からない。

「がんばってるね」と
一言言ってほしかった。
ただ、それだけだ。

私の背後にみえる母ではなく、
目の前にいる私自身を
見てほしかっただけだ。

私の気持ちを分かってくれる人がほしかった。
ただ、それだけなんだ。

そもそも、
感謝するしないは、当人が決めること。
他人がとやかく言うことではない。

相手が子どもだからって
それを強要していいってわけじゃないんだ。

訳知り顔した大人たちに
感謝の強要をされた子どもは、
終わりのない努力を続けることになる。

母を崇め奉らねばならないという、
怨念のようなものに
一生縛り付けられることになるんだ。

この私みたいに。

なのに、
大人たちは。

あまりにも簡単に言いやしないか?

その場限りの人だっているのに、
あまりにも無責任に言い放ってやしないか?

「親に感謝をしろ」

その言葉が、
50を過ぎた今でも
頭から離れない。

これ以上、どうしろって言うんだ。

きっと私は
このまま死ぬんだ。

この苦しさと悲しみを抱えたまま、
死んでいくんだ。

そう思えてしまうほど
心に重荷を背負わせる、感謝の強要。

でも。

誰かの意識を変えるとか、
世間の常識を変えるなんて
到底できやしないから。

せめて私は
それをしない人でいよう。

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