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がんばる=生きる権利

どうして
こんなふうに思ってしまうのだろう。

何かを頑張っている自分は、合格。
頑張っていない自分は、不合格。

合格ならば、
堂々と生きる権利があるけれども、
不合格なら、
生きる権利はない。

だから。

生きている限りは
頑張り続けなければならない。

ひとつの課題をこなせるようになったら、
次はふたつ。

それらがこなせるようになったのなら、
次はもうひとつ。

課題はどんどん増えていく。
現状に満足していては、
生きる価値などないのだ。

常にフル回転で頑張っていなければ。
何かを追いかけていなければ。

課題を増やしていけば、
いつか自分が追いつかなくなる時がくる。
ひとつの課題を取りこぼす時も、くる。

そんな時。

これまで
6個の課題がこなせていたのだからいいじゃないか、
とは、ならない。
7個目の課題がこなせなかった段階で
すべて無になるのだ。

6個できていた自分も、
否定の対象となる。

そこにはゴールはない。

一度の緩みも許されない。

脱落することは
自分への全否定につながる。

できない=生きている価値がない、のだから。

バカみたいだ。

自分で自分の首をしめている。
自分を生きる価値のない者にするために
必死に努力している。

ほんと、バカだ。

誰でもない、自分が出した課題に
勝手に苦しんでいる。
逃れられなくしている。

そのバカさ加減に呆れている自分が言う。
もういいじゃん、って。

でも、やめられない。
頑張らない人生なんて、だめなんだ。

苦しむことは分かっているのに、
アクセルを踏み続けることから逃げられない。

踏んでも、
緩めても、苦しい。

あぁ、早くこの車から降りてしまいたい。

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