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DETOURS STORY #4 由香さん

子育てをしながら会社員として働いていた時にSLEを発症、その後ネイルサロンを開業するまでに色んな選択をされてきた、由香さんのDETOURS STORYをご紹介させていただきます。


プロフィール

平成2年産まれ 33歳主婦
6歳の娘と夫の3人家族です。
お仕事は、病気をきっかけに人生を考え直し、
4月からプライベートネイルサロンを開業し新しいスタートをし始めたところです。

2020年 3月の頭の脱毛から
いろいろな症状が出始め
2020年 11月頃、大阪にある近畿大学附属病院で、全身性エリテマトーデスと診断されました。
ステロイドは、プレドニンがピークで中等量の30mgだった時期もありましたが、現在はプレドニン2.5mgで落ち着いており
プラケニルとアルファカルシドールを一緒に服薬。
ベンリスタ皮下注射を週に1回の頻度で毎週自己注射しております。

現在の症状は、発症した頃からは考えられない程、全身の痛みも全くなく、
倦怠感や息切れの頻度が少なく安定しています。
レイノー現象は、強い方で
発症当初から春夏秋冬関係なく毎日出ています。

発症からSLEと診断されるまでの経緯を教えてください。

仕事と、家事育児の毎日で、家でも職場でも時間に追われ、
上司による精神的ストレスもたくさん感じていた頃、
2020年3月〜5月にかけて毎日たくさん髪の毛が抜けていき、(早々にバレないようウィッグ生活開始)3分の1程髪の毛が無くなっていきました。(この時点では理由も分からない為、ストレスによる脱毛だと思っていました)
こちらの職場は8月末で退職。

2020年9月に転職
転職先で
新たな身体の異変に気づいたのが10月。
手や身体が冷気に触れると、マネキンのような真っ白になったり、紫色になったりで変な色になる。
その間何十分という長さで手がすごく痺れる。
その上に、流水で手を洗うと
水に触れていられないほどの痛み。(真冬に氷水に手を突っ込んでいるような感覚)

この頃同時に、身体のいろんな所が痛くなってくる。
仕事の作業中、肩が上げられないほど痛くなり、上手く車のハンドルがきれないほど腕や肘が痛み、脇のリンパも腫れ痛む。

これはおかしいと思い、症状からたくさんネット検索し膠原病を知る。
そこで、リウマチか全身性エリテマトーデスを疑い、ひとまず近くの血液内科を受診しました。
そこで採血と、自分の症状を伝えたところ、先生も膠原病の可能性があると判断し、近畿大学附属病院を紹介して下さいました。

近畿大学附属病院で1週間検査入院し
全身性エリテマトーデスと診断されました。

症状が出ている中で育児とお仕事をされていましたが、その時はどのような心境でしたか?

全身の痛みがある中、
職場では急な病欠が度々あると困る部署だからということで
体力仕事の部署に異動の指示。
異動後、心配していた通り悪化することとなる。
勤務開始から既に倦怠感が無くならず
勤務1週間の間、一日中全身の痛みがピークになり、鎮痛剤は効かず、夜中は痛みでずっとうなされ、寝返りすら痛みで出来ず。
朝は身体が痛みで起き上がれず、
ペットボトルの蓋が開けられないほど手がこわばり、浮腫でパンパンに腫れ上がり、高熱が出てしまい、ステロイドの服薬が始まりました。

その頃の心境はというと、
仕事開始そうそう1時間も経っていないのに、
辛くしんどく皆と同じように身体が動かせない悲しさ。
見た目は普通だし、人間関係がまだ作れていない状況で他の人に病気も打ち明けられる訳もなく、辛いと誰にも言えない心境。
本当は休みたいけど、休みたいとは言えず、毎日痛みに耐えながら子供を園まで送り、7時間勤務し横になりたいのを我慢しながら子供を迎えに行き、夜ご飯の支度などフル活動していました。
仕事のお昼休憩の時、夫に連絡し、身体の限界を訴えたところ、「もう仕事辞め。」と言われました。
ホッとして、この辛さからやっと開放されると思い涙が溢れました。
家庭内でも夫ばかりに負担はかけたくなく、私も協力し家庭のために、子供のためにも働かないと。という思いからなかなか仕事を辞めるという選択が出来なかったのかも知れません。

現在はネイルサロンを開業されていますが、そこに至るまでにはどのような背景があったのでしょうか?

退職後は当たり前だったことが当たり前じゃなくなり、以前とは出来ることが変わってしまい、思い通りにいかない日々で落ち込む日々もたくさんありましたが、まずは自分の身体を第一に考えるようになりました。
2年ほど専業主婦になり、ステロイドの減量と共に、だんだん倦怠感や息切れの頻度も少なくなり、自分が出来そうな時間配分でパートを始めました。
面接の時にも病気の事や、現在の症状を伝えた上で雇ってくださいました。
理解のある会社で、すごく働きやすかったのですが、自分の身体を第一に考えた結果
今後なるべく再燃しないようにと、病気になる前と、病気になってからとでは、仕事の選択肢が限られており、楽しく働けてない自分に気づき、いつ再燃するか分からないのに、こんな毎日で人生過ごしたくないと思うようになりました。
外で仕事をするには、身体にも限界がある。
だから私は在宅で出来る仕事を探しました。
そこで行き着いたのがネイルサロンです。
昔はネイルサロンにいく側であり、
病気になってからは、たまにセルフでやる程度でした。
ならネイルを勉強して技術を磨いて、自宅ネイルサロンを開こう。
経営のこととか、開業するにはとか全く無知の状態から約1年ほど、かけて検定取得したり、勉強したり試行錯誤しながら
悪化させない程度に前向きに少しずつですが、日々頑張っています。

お仕事を選択する中で、なぜネイルサロンを始めようと思ったのですか?

私はSLEの症状の1つのレイノー現象が、年中出てしまいます。
病気になってからは本当に手が嫌いで、人前では手を隠すように癖づいてしまいました。
だけど、そんな嫌いな手でも、ジェルネイルをすると、症状が出ていない時はただの手だったのが、ネイルをすると綺麗で気分が上がり、
気づいたら鼻歌を歌っていたり、日々の生活の中に幸せと思える時間が増えたんです☆
これって素敵なことだな♡と思い、
自分が感じたみたいに、日々忙しくしている他の女性にも、爪を眺めて幸せを感じる時間が出来る。そのお手伝いが出来たらいいなと思ったのがきっかけです。
目の前のお客様の気分が上がっていっているのを、実感して私も幸せになる。
そんな時間を毎日送れると、気持ちの安定と共に、この病気も悪い方向に向かわず、安定して過ごせるんじゃないかなと思ったからです。
自分でゼロスタートで始めるのはとても簡単なことでは無いことも理解しています。
既に心が何度も折れかけています。
けど、自分の身体を第一に考えたとき、
今私に出来ることはコレしかないと思ったから
まずは頑張って前に進もう。
人生何があるかわからないし!
いつ悪くなるかも、合併症になるかも分からない。そんなことに怯えながら、過ごすより目の前のお客様のことを考えて、やりがいのある仕事をして生き生きと人生を送りたいと思いました。

今、どういったことがモチベーションになっていますか?

目の前のお客様が、ネイルの仕上がりに近づくに連れて、どんどん気分が上がっていくのがわかる。笑顔で手を眺めている姿を見ると
ネイリストになって良かったー。
次も喜んでもらえるように頑張ろっ。もっと上手くなろう!と思えます。

また、子供にも病気でも前向きに頑張っている母の姿を見て、どんな壁にぶち当たっても自分のペースでしっかり前向きに生きていけるそんな人になって欲しいなと思います。


今回インタビューにご協力いただいた由香さんのネイルサロンのリンクはこちら

素敵なネイルデザインやお仕事の様子などインスタグラムで発信されているので、ぜひ訪れてみて下さい!

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