見出し画像

ダウン症児中絶④産後編

2024/4/11 土曜日 出産当日
14:30 出産したら写真もすぐに撮らせてもらえた。
そのあと、私は処置の続き。胎盤とか見せてもらった。
胎盤からはへその緒がついてて、へその緒ってもらえますか?って私が聞いたからへその緒をくれた。間髪入れずに聞いておいてよかった。

子は産道を通って血でいっぱいだったから、綺麗にしてもらってから抱っこさせてもらった。まだとても暖かくて命の温もりを感じた。
「どのくらい一緒にいられますか」と助産師さんに尋ねたら「ずっと一緒にいていいよ」ととても優しく答えてくれた。
本当はずっとは、いられない。でも今だけはだれも干渉せずに一緒に過ごさせてくれる。

1時間くらい抱っこして、夫婦2人でずっと子のことを可愛いねって見つめていた。
時間があっという間に流れていった。

夫は役所に死産届を出さなくちゃいけなくて、そこから1時間半くらい席を外していた。
夫は道中で泣きそうになるたびに目を閉じては瞼の裏に我が子の可愛い寝顔を思い浮かべて、幸せな気持ちになるというのを繰り返していたらしい。

私たちはそのあいだ、いっしょにおひるねをした。
幸せな時間だった。
腕の中で静かに眠る子を微睡みながら見つめては、目を閉じてその存在を感じる。

それから子のことをいっぱい撮った。
ずっと触っていたからなのか、だんだんシワシワになって皮膚がすこしめくれちゃったり、乾燥してきて産毛が見えてきたり。
かわいい我が子の身体をずっとずっと眺めていた。
お腹の中でこんなにも育っていたんだな、と成長を感じながらあらゆる場所を触りながら動画と写真を撮っていた。

夫はしばらくして帰ってきて、また子を抱っこして揺らしてくれていた。
夫は甥っ子をあやしたりなどしていたので、私よりも子供の扱いに慣れている。

いっぱい言葉にできないことを夫が言語化してくれて、私はこの人と結婚してよかったと思った。
夫の優しさに救われた。
夫が子をあやしてくれてるのをみて、また赤ちゃんがほしいと思った。
子もパパと一緒に遊んで成長したいよね。

また私のお腹に来るんだよ。

夫と一緒だから、わたしは子との一時のお別れも乗り越えられるよ。
大好きだよ。愛してる。
1番最初に真っ直ぐ私たちのところに来てくれた世界一の宝物。幸せだなあ、悲しいけど、世界で1番幸せ。

私たちが18時半くらいにLDRから個室に戻った。
明日は子の手形と足形を取ることができて、沐浴もさせてあげられるんだって。沐浴させてもらえるとは思っていなかったから、助産師さんにはものすごく感謝した。

ずっと夜一緒にいると子の具合が悪くなっちゃうから、夜通し一緒は諦めた。
明日手形とか足形を綺麗に取るためにも、子の状態を良くしないといけないもんね。

子が個室に戻ってきたのが19時ごろ。30分くらいまた綺麗にしてもらって帰ってきた子はベビーベッドの上に置かれた棺に入ってやってきた。
保冷剤に乗った子はもうひんやりしていて、油で保湿してもらったからつやつやしていたけどどこか大人びて見えた。

棺に入っている子を見ると、送らなくちゃいけないんだなと思って涙が止まらなくなってしまった。

夫も込み上げてくるものがあって、途中途中で涙しながら子に語りかけてくれていた。
子供想いで、奥さん想いなこの男性が私のことを好きでいてくれて本当に幸せ。
子も、そう思うから、幸せを感じとって来てくれたんだよね。
私は子供をあやしたり話しかけたりするの苦手だから、子にいっぱい話しかけて触ってくれる夫はすごく頼りになるパパだと思う。

私のお腹はもうすっからかんになっちゃった。
屈んでも下腹部を押しつけても、もう、そこには大きくなった子宮はないんだと感じる。
寂しくもあり、前に進んでいかなきゃとも思う。

また、来月でも再来月でも。
絶対にまた私のお腹に戻って来てね。
待ってるから。

夫は近くのホテルで一泊して、翌朝からまた面会に来てくれる。一緒に寝泊まりできる部屋を取れば良かったね、と言うけれど、子と一緒に寝たりはできないから、それはいいよと言った。


2024/4/12 金曜日 産褥1日目
3:30 目が覚める
もう一度寝ようとしても寝付けないことはわかっているので、4時まではと思って部屋の掃除をする。

4:20 子を部屋に呼ぶ
朝の挨拶とおしゃべりをして何か残したくて子の身体を3Dスキャンをした。会った時と離れる時、少し泣いちゃった。

5:00 寝る
十数分おきに目を開けながら、いろんな人のお葬式の夢を見た。本当に子には関係ない人たちばかり出てきたけど、送る気持ちに向いてきたのかもしれない

6:20 母の声がしたみたいで目が覚める。
この時間、起きなさいって母がよく起こしてくれた。
子にもそんな声をかけられる日がきたらいいな。
次にお腹に子供が来たら、お腹の中にいるときは同じ名前で呼ぼうか。

7:30 夫が到着するのにあわせて、子を部屋にお願いした。なるべく一緒に居たいから。
夫が来て、子を見てもらっている間、私は数日ぶりのシャワーを浴びた。
3回も髪を洗って、泣きながら体を洗った。熱いシャワーはとても気持ちが良かった。
帰ってきてからまた子との時間を過ごす。何をするわけでもない。ただ子に触れて話しかけて笑いかけて泣いて。それだけの幸せな時間だった。

10:10 手形・足形/沐浴
手と足のスタンプとそれから沐浴のセットを持って子を取り上げてくれた助産師さんがやってきた。
全部私たちにやらせてくれた。スタンプを押すのも、沐浴のやり方も、全部まかせてくれた。

とてもありがたかった。
手と足のスタンプは母子手帳に押した。
左を私が、右を夫が押した。
沐浴ではほとんど私が洗っちゃったけど夫にも手足とか体も洗ってもらった。助産師さんはその間、私のスマホで動画を撮ってくれた。かわいいね、とかいっぱい話しかけてくれた。

沐浴が終わったら、私が縫ったセーラーカラーのノースリーブワンピースに袖を通して、また保冷剤の敷かれたベッドの上に子を寝かせた。

「退院の時間はおおよそ午前中ってしてあるけど、何時でもいいからね」
と助産師さんが言ってくれた。

それからまた3人の時間を過ごした。
ずっと泣いたり笑ったりしながら、時計を気にして過ごした。11時になって、12時だって思って、13時だなって思ってからいよいよそろそろいかなきゃと考えていた。

12時前になると助産師さんが来てお昼食べていく?というのでお言葉に甘えた。一食増えたところで値段はいくらかかろうが、正直ろくなものを食べないだろうしお願いしたほうがいいと思った。

母には13時ごろ帰るよとLINEで伝えた。
退院の時、車で迎えにきてくれるとのことだった。

母に会ってもらいたい気持ちもあったから、子に会ってもらった。
到着した母は静かに涙を流しながら、嗚咽もせずにしっかりした手足だね、とか爪が生えてるね、とか可愛いねとか言いながら棺の中にいる子を撫でてくれていた。

せっかくだし子を抱っこしてもらう。子が小さい身体でも母は抱っこの仕方も慣れているし、自然に体が上下に動いてあやしてしまうと言っていた。
母にちゃんと孫を抱かせてあげられなくて申し訳ないと思った。

母が帰りたくないね、一緒に居たいねと私の気持ちを代弁する度にどっと涙が溢れていた。

14時半、帰らなければと思った。
助産師さんに「そろそろ帰ります」とナースコールで伝えた。

「明日明後日また面会に来ていいよ」
いいんですか、と言うと「もちろん」と優しく答えてくれた。

ずっとずっと一緒に居たいけど帰らなくちゃ。
それからまた明日来るんだ。

母に駅まで送ってもらおうと思っていたが、家まで送ってくれた。本当にありがたかった。
「電車で2人を帰らせるのも、心配だから」と言ってくれた。
ずっと車の中で夫が手を繋いでいてくれた。「子に会いたい」「帰りたくない」と言う私の手をずっとずっと握ってくれていた。

家の近辺に近づいてくると夫は泣き出してしまった。3人で一緒に帰ってくるはずだったのに。夫はそう言った。

私たち2人で帰ってきてしまった。

家の前で母が降ろしてくれて、母がぎゅっと抱きしめてくれた。
「がんばったね」
とひとこと、言われて、声をあげて泣いた。

がんばったよ、夫くんがいい旦那さんだから、わたしがんばれるよ。ママは安心してて。
大きい声でわんわん泣きながら母にそう伝えた。
母も泣きながら、うん、信じてるよ。大丈夫だよ。と言ってくれた。

帰って夫がお風呂を沸かしてくれた。
洗濯物を畳んでくれると言うが別にいい。明日だって明後日だって死なないんだから。

それからおかえり、と抱きしめてくれた。
2人でわんわん泣いた。
子がお腹にいないことをふと感じると寂しさが襲った。

地面に座る時につっかえないお腹、じっと寝ていると胎動のないお腹、息切れしない階段、溜まっていくノンカフェインのお茶、もう着なくていいマタニティの服、もう外さなくちゃいけない携帯につけていたマタニティマーク、お風呂からあがったら保湿していた習慣、葉酸サプリを飲んでいた習慣、避けていたアルコールや食材。

いろんなことを、気にして過ごしていた。
もうそれを、しなくて良くなる。


これからどうやって生きてけばいいんだろう。
わかんないや。


次▶︎ 産褥期編

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?