『Quantum』感想part1

2024/5/19 文学フリマにて購入した
『Quantum』
についての包括/個別の感想群


【内容に言及するため、『Quantum』を前提なしで読みたい方はご遠慮ください】




2024/5/19に開催された文学フリマにて、私が個人的に購入したものが『Quantum』だった。せっかくなので、感想を書いてゆく。

Yurindo-遊倫童- というサークルで参加した2回目の文学フリマだったが、あまり回らずにいた。
だが壁沿いの独特な銀と緑の配色に惹かれ、購入させていただいた。


読みに時間が取れず、少々感想作成が遅くなっている気がするが、私にどうこうできることは少ない。せいぜいがどうこうを”動向”と変換されないように気を配るくらいだ。



さて。

本作は創作の小説と、企画としての小説&インタビュー部分に分かれているようで、今回は前半の単純な?創作部分を取り上げたい。



『Quantum』を作成された方々のnoteはこちら

「Quantum」合同編集部note



クオンタム(Quantum)表紙




『深淵のリチェルカーレ、あるいは文学の捧げもの』



この現実で「他人」の言葉を語るとき、語るわたしは「他人」に憑かれる。
淡々と言葉を仲介したところで、わたしらしい言葉は減り、「他人」の言葉づかいや声色を真似さえする。
話し手の「他人」と聞き手の「あなた」の間で私は存在の必要がない。
その二人がいればよいのだから。

小説の形式にすれば、私は退場し「他人」が話をはじめる事が可能だ。
そして氏の小編はそれを織り重ね、作り上げてみせた。


メタ的な技法を含んだ本作について、そのアイデアを形にしたことそれ自体に敬服する。どこかコルタサルの雰囲気を思い出した。

ただ同時に、どうしても話の始まり、スタートのトリガーばかりになってしまう内容には物足りなさも覚えた。
坂道をくだる度に勢いづくものの、私は叶うならば、くだったボールが登っていくさままで見てみたかった。

情報の集積した坂の下から、あがりきった男の言葉は何が残っていたのだろう。




『かせきこのかっぱ』



かせきこ。aeio。響きだけでもう良い。
川上弘美『蛇を踏む』に似た、しかし一歩リアルに寄った話だった。

家庭を喪った家に残る主婦と、おいていかれた河跡湖。
なるほどきれいな配置だと感心する。

『蛇を踏む』と離れたのは、「へび」と「かっぱ」というモチーフの、存在としての色によるのかもしれない。

「へび」が恐怖や威圧的なモチーフとして描かれる(すくなくとも『蛇を踏む』ではそう読めた)のに対し、
本作の「かっぱ」はユーモラスな、寄り添う人に近しい妖怪の面を色濃く見せていた。

「知らない顔を見せている。」などはツンと澄ました「かっぱ」の顔まで浮かぶ。
「かっぱ」を「カッパ」や「河童」としなかったのだから。

完成度は高く、もう好みの問題だろうとは思うが、わたしには「かっぱ」が優しすぎた。
ろくでもない読者だったと、もし筆者がこれを読むことがあれば一笑に付していただきたい。




『掌編 微熱』



情景描写には多少の不思議さを感じる。
作品全体の分量に対する比重が大きいような気配がする。
それが作者の情景描写に対する価値観なのだろう。

物語は特別な色合いを持たないが、この描写の影響か、物語そのものがどこかこの世に実在する出来事のように見えた。
微熱、というタイトルに違わず、どこかまとまらない、動きを求めたい、けれどそうしない。狭間にうなされるようだった。

もっと長いものだと、作者はどのようなものを生むのか、興味を抱いた。




『そして私は透明になる』



パーツモデルという存在を初めて知ったが、スカウトの男のフェチズムに非常に面白く読んだ。
彼に、さらに言えばそのフェチズムに足を突っ込んでしまった主人公の変遷の話ではあるが、もはやスカウトの存在が話全体をすすめていると感じる。それほどに彼が印象的だった。

主人公の「選択されない」ことに対するコンプレックスが埋められていく様子も読みやすい。
短いながらも起承転結のはっきりした、ストーリーの作りは綺麗だ。

すべてが整ってしまっていたせいだろうか。
主人公の最終的な選択は、彼女にしてみれば正しいものだろうが、スカウトの虜になっていたわたしからすれば、話全体が足を挫いた感覚になった。

前半、というかラスト2ページまでの面白さを、すべて攫っていってしまった。

スカウトの男は、次の足を見つけられるのだろうか。




『アドラルトクについて』



ここまでで一番の時間的な広がりを持つ作品。
アドラルトクが一体なにか、どういったものか、彼らが何者か。
そういったことを説明されては困ると思っていたが、きちんと説明されずに進み、彼らの側で大きい島と小さい島に流れる時間を眺めていけた。

氷上の祭りの行われたその場所で、昨日のアドラルトクは明日のアドラルトクに、豊かさを見ただろうか。

面白いのは、アメリカと彼らの間は比較的温厚に進んでいるように見えるところだ。
言語が通じるとはいえ、大きい島と小さい島は別れた。新たな人間の介入がいざこざなく終わることは少ない。必至だとすら思う。
しかし作者はそこを描かなかった。
拒絶し絶滅するような変遷を、望まなかったのだろう。

この平穏な変遷は、たしかに心地よい。
伸びていく煙も美しい。空に赤いオーロラを配置しなかったのは、夕日と暗い夜とのトレードオフかもしれない。
いざこざのなさへの違和感というべきか、居住まいの悪さを排しきることが、もしも可能ならば。
そうでなくとも、非常に重みのある話だった。




いったんここまでとさせていただく。

part2以降では『Quantum』の企画部分、また(物理的な)本についても軽く見ていければと思っている。

6月上旬までにpart2を出したいところだ。

もし、part1(今回)で興味を抱いた方。
part2以降も気にかけてくれるとありがたい。


おき

興味をもって読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、今後の活動資金とさせていただきます。